
よう来なさったな。ここにおるのは、どっかの偉い先生でもなけりゃ流行りに詳しい専門家でもない。
ただの「自由爺(じゆうじい)」じゃ。若い時分から、長いこと組織という型の中で骨を折ってきた。
気づけば、右から左、上から下へ、物事を回すことだけは一人前になったが、「自分の手で一から何かを生み出した」という手応えは、正直なところ、あんまりなかったんじゃ。
そんな人生に、ひょっこり大きな転機がやってきた。 ――ガンじゃ。
その時、真っ先に頭をよぎったのはのぉ、 「この先、もし手も足も思うように動かんようになったら、ワシはどうするんや?」 という、えらい現実的な不安やった。誰かとつながっていたい。 声だけでも、顔だけでもええ。独りになりとうない。 そのためには、いわゆる「文明の利器」に頼らなあかんと思ったわけじゃ。
そこで、思い切って手にしたのが iPhone というやつよ。 それまでは、「電話とメールができりゃ十分じゃろ」と高を括っとった。 ところがどっこい、開けてびっくりじゃ。 テレビ電話で顔を見て話せるわ、指先ひとつで世の中の情報が山ほど転がり込んでくるわ。
「なんやこれ、めちゃくちゃ便利やないか!」そこからじゃな。 文明の利器という未知の扉が、音を立てて開いたのは。
最初は生きるため、つながるための「杖」みたいなもんやった。 けど、いじっておるうちに、 調べる、書く、伝える、残す……。 できることが、みるみる広がっていったんじゃ。
それと同時によ、もう一つ、心の奥で火がついた。 「このまま、ただ人生を終えてええんか?」 「何か、生きた証を刻まんでええんか?」
今までの仕事も、そりゃ必要やったし誇りもある。 けど、自分の名前が刻まれるものは、何一つ残らん。 それが、急に惜しくなったんじゃのぉ。
そこで、今さらながら思ったわけじゃ。 「ワシも、何か物をつくってみたい」
うまくなくてええ。 売れんでもええ。 どこかの誰かが「おもろい爺さんやな」と笑うてくれたら、それで十分。
そうして始まったのが、 慣れん手つきで文章を書いたり、ホームページをこさえたり、 ちょっとした物を形にしたりすることじゃ。
最初は失敗ばっかりよ。 覚えることも山ほどあって、頭が痛うなる。 それでも、不思議としんどくはない。
なぜか? そりゃあお前さん、それが「自由」やからじゃ。
誰に命令されたわけでもない。 誰かに評価されるためでもない。 自分が「これ、ええな」と思ったことを、自分のペースでやっておるだけ。
この場所は、 ワシと同じように人生の寄り道をしてきた人や、 ふと立ち止まっておる人、 これから新しい何かを始めたい人の、 「ちょっとした縁側」みたいなもんじゃ。
まあ、そう急ぎなさんな。 ここに腰掛けて、茶でもすすりながら、ぼちぼち行こうや。
それが、自由爺の流儀というもんじゃ。