養生草紙 第三十巻:緩やかなる傾斜と、食卓の上の攻防  (味覚障害が始まる前)

三度目の朝がやってきた。

いやはや、参った。病(やまい)との付き合いってなぁ、いつだって一筋縄ではいかんもんやと分かっていたつもりじゃが、どうにも世の中そうは問屋が卸さない。人生の嵐というもんは、こちらがようやく息を吐いた隙を突いて、次から次へと新しい試練を放り込んできおる。

二度目の抗がん剤を投与した翌日の明け方、胃の腑の奥からせり上がる不気味なモヤモヤに襲われて目が覚めやした。そこからだんだんと、子供のころに乗った古いフェリーを思い出させるような、あの嫌な「船酔い」の苦しみに変わり、ベッドの上で時計の針が止まったんやないかと疑うほど長く重たい時間を過ごしておりました。おまけに夕方には、指先から足の裏にかけて無数の電気虫がザワザワと這いずり回っとるような、奇妙で不快な痺れまで加わるダブルパンチ。限界まで張り詰めさせていた心の糸がポキッと折れそうになり、四十八の坊主頭の親父が、ベッドの上で半泣きになりながら強い吐き気止めを求めたのが、昨日の出来事でございます。

そうして長い夜を耐え忍び、パチリと病室の蛍光灯が点灯して、三度目の朝がやってきた。

ワシは目を覚ますと同時に、おそるおそる己の五体の具合を確かめてみたんじゃ。

指先の痺れは、相変わらず無数の小さな小さな虫がザワザワと這うとるような感覚のまま、何食わぬ顔で四肢に居座り続けとうが、ありがたいことに、あの胃袋を天下分け目の戦場に変えていた激しい「船酔い」の角度が、今日は少しだけ緩やかになった気がするんじゃ。地獄の底をのたうち回るような激しい揺れから、今は波止場に繋がれた舟がゆらゆらと揺れるくらいには落ち着いてきた。

「ああ、ようやくあのケミカルの嵐のピークは過ぎたんやろか……」

窓の外から差し込むかすかな光を浴びながら、胸のつかえがほんの少しだけ軽くなったことに、心底ホッと胸をなでおろしたわい。一寸先も見えない深い霧の中に閉じ込められていたような心地じゃったが、ようやく足元に薄日が差してきたような、そんな安堵感が五臓六腑にしみ渡りやした。

けれど、人間の体ってなぁ本当に正直なもんじゃ。

気持ち悪さの波が引いたからといって、すぐに元の「がむしゃらな大黒柱」に戻れるわけじゃあねぇんでございます。ガラガラと廊下の向こうから配膳車が近づいてきて、ワシのベッドの前に朝飯が運ばれてきやした。蓋を開ければ、いつも通りの薄味の煮物。それを見た瞬間、やはり喉の奥がキュッと縮こまって、箸を動かそうという気力がどうしても湧いてこん。これで一昨日の晩から数えて、まる二日。通算で四食も続けてご飯を抜いてしもうたことになる。

入院前夜には、これが最後のご馳走かもしれんと言い訳をしながら、家族を連れて馴染みの店でタレまみれの焼肉を腹一杯に食い散らかしていた男が、今や米一粒、汁一滴すら喉を通らん。自分の身体でありながら、まるで他人の肉体を遠くから眺めているような、なんとも言えん頼りなさと情けなさが胸に閠(つか)えておりやした。

さすがに、日に三度トレイを持ってやってくる看護師さんも、ワシの痩せ細っていく様子を心配したんじゃろう。

大部屋の白いカーテンを開けて巡回に来た時に、ワシの枕元で腰を落とし、目線を合わせて優しく声をかけてくれた。

「自由爺さん、おはようございます。体調はどうですか? でもね、少しでも何かお腹に入れんと、これから戦う力が持たへんですよ。お粥の汁だけでも、一口だけでも頑張ってみませんか?」

マスクの奥にあるその温かい眼差し、白衣の天使の優しさは、それこそ砂漠で水に出会ったかのように痛いほど分かる。ワシだって、食べなきゃ体力が落ちること、食べんとこの病気が治らんことくらい、これまで四十八年間この浮世で生きてきて、百も承知、千も承知じゃ。

けれどな、看護師さん、入らんもんは、逆立ちしたって入らんのや。

ここで「せっかくの親切だから」「男の意地を見せにゃあ」と、世間の常識や周囲の期待に振り回されて無理に詰め込もうとすれば、せっかくお薬の力で大人しく落ち着きかけた腹の中のダンスが、待ってましたとばかりにまた激しいアンコールを始めてしまう。そうなれば、それこそ一歩目で大破しちまう。これまでの仕事の現場でも、段取りを急ぐあまりに無理な作業を強行すれば、かえって大きな怪我に繋がるのをワシは嫌というほど見てきやした。病気との戦いだって、それと全く同じ職人仕事のようなもんでございます。

「堪忍な、看護師さん。本当にありがたいんやけど、今はまだ、その時やないんや……」

申し訳なさでいっぱいになりながら、心の中でそう静かに詫びて、今日も手をつけることのないまま静かに膳を下げてもらうことにした。四十八の親父が借りてきた猫のように大人しく、自分の小ささを認めるのは格好の良いもんじゃあねぇが、これも今のワシの現実でございます。

ただな、そうやってトレイが運ばれていくのを見送りながら、ワシの胸の内に不思議な気づきが訪れやした。

世間じゃあ「病気に勝つために、無理してでも頑張って食べなさい」と誰もが言う。けれど、今のワシにとっては、無理して頑張るんだけが養生やない。自分の不器用な身体の声をじっと聞き、その限界を認めて、今はあえて「食べない」という選択をするんも、これからの長い五クールの戦いを生き抜くための、立派な一つの闘い、自由爺としての戦い方なんかもしれん。

あの無機質な機械の音に追われ、一リットルの水責めに喉をヒリヒリと痛め、一度は「死ぬ??」とまで怯えたワシじゃが、少しずつこの白い天井のある日常に適応し、腹が据わってきたようじゃ。

船の激しい揺れは、確実に収まりつつある。

焦ってジタバタと波を立てて足掻いたところで、時計の針が早く進むわけじゃなし、血糖値の数値が下がるわけでもありゃせん。今はただ、この荒波が完全に凪ぐのを気長に待つとしよう。身体の内側で、お腹の虫がキュルルと鳴って、心の底から「ああ、何か美味いもんが食べたいなぁ」と思える幸福な時が来るまで、今はただ、じっと毛布にくるまって時を稼ぐだけじゃ。どんなに深い霧が立ち込めようとも、明けない夜はねぇし、抜けない管もありやせん。

皆も、日々の仕事や暮らしの現場の中で、周りの期待に応えられん時や、どうしても思うように進まんでイライラし、自分を責めてしまう夜があったら、どうか無理に強い自分を演じようとせんでええ。

世間の常識だの男のプライドだので己を縛り付けるのは、かえって心と身体の毒になりますからな。進んでは下がり、耐えては祈る、その泥臭い繰り返しの最中こそ、今は他の誰でもない、あんた自身が自分の身体の一番の味方でおってやりなはれ。弱音を吐いて立ち止まることも、立派なひとつの養生なんじゃから。

さて、今夜は余計な先回りの心配事はすべて屋上の風に預けて、磨き上げた頭をごろりと枕に預けて、早めに目を閉じるとするわ。

明日はまた、明日の新しい風が吹くんじゃからな。また、ボチボチとな。おやすみなされ。

【ワシからのお願い(免責事項)】
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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