太公望の戯れ 第六話 川には、まだ知らん魚がおった
加古川の河原でニゴイを一匹釣り上げ、すっかり気を良くした爺の、その後の頭の中を覗くようなお話でございます。
あの日の獲物は、正直に言えば本命の魚ではなかった。じゃが、手元に伝わったあのググッと力強い生命の脈動、そしてタモ網に収まったニゴイの鈍く光る美しい魚体に、すっかり気を良くした爺は、家に帰るなり泥のついた道具もそこそこにパソコンの電源を入れたんじゃ。
釣れた魚の正体や生態もさることながら、それ以上にワシの心を捉えて離さなかったのは、目の前を滔々と流れる「加古川」という川そのものの素顔じゃった。「この見慣れた川の深みには、他にどんな魚たちが息を潜めて暮らしとるんやろう」そんなことを思いながら、おぼつかない手つきでキーボードを叩き、調べ始める。すると、画面の向こうから、なかなか興味深く、そして少しばかり胸がチクリと痛むような事実が浮かび上がってきた。
どうやらこの加古川は、近年の度重なる大型台風による水害や、それに伴う大規模な河川工事の影響で、水の中の環境が激変し、魚の数がかなり減っとるらしいんじゃ。
特に、ワシらが若かった頃に一世を風靡したブラックバスは、今や昔ほど姿を見られんようになったそうじゃ。そう聞けば、にわかに思い当たる節がいくつもある。昭和から平成にかけてのあの熱狂的なブームの頃、この加古川へは京阪神はおろか、県外からもわざわざ遠征にやってくる熱心な釣り人が珍しくなかった。休日ともなれば、土手のあちこちに車が並び、カラフルなルアーを投げ入れるロッドがそれこそ林のように小気味よく振られとる姿が、当たり前の風景としてそこにあったもんじゃ。
ところが、今の加古川はどうじゃ。朝夕に川辺をのんびり歩いてみても、行き交う人影はまばら。そういえば最近、土手の上で腰を据えて竿を構える釣り人そのものを、あまり見かけんようになった気がする。「釣れんようになった」と、みんな足が遠のいてしもうたんやろうか。時代が変わったんじゃなぁと、水面を渡る秋風を浴びるように、ほんの少しだけ寂しい気持ちが胸をよぎったわい。
じゃがのう、そこで諦めずにさらに調べを進めれば進めるほど、この我が街を流れる加古川という川の、本当の凄さというやつがドカンと見えてきたんじゃ。
何を隠そう、この川は兵庫県でも最大級の長さを誇る大水系。山奥の源流から瀬戸内海へと注ぐ河口まで、それぞれの場所の表情に合わせて、実に様々な魚たちが逞しく命を繋いどる。
鳥の鳴き声しか聞こえん山あいを冷たく流れる上流域には、渓流の女王と呼ばれる美しいアマゴや、深山幽谷の主たるイワナが潜む。夏になれば香ばしい香りを漂わせるアユが苔を食んで銀色にひらめき、夜の帳が下りればニョロリと黒い影を伸ばす天然のウナギも姿を見せるという。
そこから少し川幅が広がる中流域へ下れば、オイカワやカワムツが群れて水面を跳ね、立派なコイや丸々と太ったアユも悠々と泳いんどる。
そして、ワシの工房からもほど近いこの下流域になれば、夜の帝王たるナマズ、蛇のような厳つい顔のライギョ、泥を掘り返す野生のコイ。さらに往年の主役であるブラックバスや、子供たちの格好の相手であるブルーギルも、今なお生息しとるらしい。
さらにじゃ、水が塩気を含み始める河口まで一気に下れば、そこから先は広大な海の魚たちが待ち受ける別世界が広がる。銀色に輝くシーバス(スズキ)、強烈な引きで釣り人を魅了するチヌ(黒鯛)、砂底に潜むマゴチにカレイ、夏の砂浜の女王たるキス、そして群れをなして押し寄せるアジ、イワシ、サバ。
いやはや、上から下まで、まるで魚の見本市、あるいは天然の水族館やないか!
画面に躍る魚の名前を眺めながら、ワシは思わず「へへっ」と声を上げて笑ってしもうた。と同時に、昔の自分の視野の狭さがちょいと恥ずかしくなったわい。若い頃のワシは、正直に言えば「バスしか見とらん」お天気屋じゃった。釣りといえばブラックバス、魚といえばブラックバス。頭の中はあの緑色の魚体と、派手なトップウォータープラグの動き一色じゃった。
もちろん、それだって若さの特権、文句なしに楽しかった。じゃが、還暦を過ぎた今になってしみじみと思う。せっかく足元にこんなにたくさんの種類の魚たちが息づいとるのに、ただの一種類だけを追いかけて他を無視しとるのは、なんとももったいない贅沢、宝の持ち腐れやったかもしれんな、とな。
あの美しい斑点を持つアマゴを繊細な仕掛けで狙うのも面白そうじゃ。夏の川に立ち込んでアユと知恵比べをするのも気になる。ナマズなんぞ、夏の蒸し暑い夜に静かな水面をルアーでポコポコと狙ったら、暗闇の中でドバッと水飛沫が上がって、心臓が止まるほどワクワクしそうじゃないか。河口へ一歩足を伸ばせば、海の猛者たちが竿を絞り込んでくれるのを待っとる。
気がつけばワシは、深夜のパソコンの前で、まるで新発売のおもちゃのカタログを貪り読む子供のように、次から次へと新しい魚の名前や釣り方を検索しとった。
どんな場所に身を隠しとるのか。どんな仕掛けやルアーを好むのか。針に掛かったら、一体どんな手応えでワシを驚かせてくれるのか。キーボードを叩く指先がほんのり熱くなり、気持ちは完全に、駄菓子屋の裏で秘密基地を作っとったあの少年の頃に戻っとったわい。
人間、年を重ねて還暦も過ぎるとのう、経験というやつが増える代わりに、おのずと「知った風な顔」をして、新しい世界へドボンと飛び込む機会は減っていくもんじゃ。「まあ、こんなもんでしょ」と、勝手に枠を決めてしまいがちになる。
じゃが、どうやらこの「釣り」という底なしの泥沼だけは、ちょっと勝手が違うらしい。川を一本、新しく見つけ直しただけで、ワシの知らん未知の世界が、古い引き出しから次々と万華鏡みたいに顔を出してくるんじゃからな。
かつて汗をかきかきブラックバスを追いかけとった釣り天狗の少年は、いつの間にか白髪交じりの爺になった。じゃが、水の向こうに潜む魚への純粋な好奇心だけは、どうやら歳を取らんし、老眼にもならんらしい。
さて。道具箱を整理しながら、次は何を狙ってみようかと胸を躍らせる。山へ入って涼しいアマゴを狙うか。夜の川辺でスリリングなナマズと戦うか。それとも河口の潮風に吹かれながらシーバスを追いかけるか。
そんな贅沢な悩みを考えるだけで、なんだか明日が待ち遠しくて、心がウキウキと軽くなってくる。どうやら釣りという趣味は、単に魚の口に針を引っ掛けて釣り上げるだけの遊びではなく、ワシらの心の中に眠っとる「小生意気な好奇心」を、何度も何度も水面へ釣り上げる趣味なのかもしれんな。
よし、明日もボチボチ、新しい相棒を探しにいくとしよう。

