第九話 我が工房のドローン紹介(Holy Stone HS175D)

さあさあ、お立ち会い!本日我が工房にやってきた、お空をスイスイと飛び回る「魔法の道具」のお話でございます。こいつの正体をネットの広大な海で調べてみたらば、出ました名前が「ホリストーンの、えいちえす一七五ディー(Holy Stone HS175D)」という。なんだか西洋の強そうな鎧武者か、秘密結社のコードネームのような格好いい名前の機械じゃ。

届いた箱を目の前にし、いそいそとハサミを入れて驚いたのなんの。中からお出ましになったのは、折りたたむとワシの無骨な掌にすっぽりと収まってしまうくらいの、実に小ぶりな灰色の塊。重さを量ってみれば、二百グラムをちょっと超えるくらいで、「おいおい、こんなにおもちゃみたいに軽くて、本当にお空なんか飛べるんかいな?」と、思わず首を傾げて心配になるほどじゃ。例えるなら、近所のスーパーの特売で買うてきた、ちょっと大きめのみずみずしい「新じゃが芋」を手のひらに乗せとるような、なんとも頼りない感覚やな。

さあ、いよいよこいつを大空へ放つ、運命の出陣じゃ。

河原の平らな場所に新じゃが芋をそっと置き、コントローラーのレバーを親指で慎重に押し上げてみる。すると次の瞬間、「ブウゥゥゥゥーーーンッ!!」という、あの小さな体からはおよそ想像もつかんほどの、猛烈な爆音が静かな空間に響き渡った。おいおい、まるで怒り狂った巨大なスズメバチが、耳元でブンブンと羽ばたきよるような大迫力やないか。それと同時に、本体の四隅についておるランプが、赤や緑にピカピカ、チカチカと、賑やかに明滅を始めよった。まるで昭和のSF映画に出てくる宇宙船が、未知の惑星へ飛び立つ瞬間みたいで、これだけでもう、還暦を過ぎた爺の胸は少年のように高鳴りっぱなしよ。

「よし、へっぴり腰に負けずに行けっ!」と心の中で念じ、意を決してレバーをグッと上げると、あの新じゃが芋がフワリと重力を忘れたように宙に浮いた。そして風を切りながら、あっという間にワシの背丈を追い抜き、遥か頭上へとぐんぐん舞い上がっていったんじゃ。

この機械の何が凄いかって、空中で「ピタッ」と微動だにせず止まるところじゃ。

普通なら風に流されてどこかへ行ってしまいそうなものだが、ワシがコントローラーから指を離しても、まるで見えない透明な糸で天から吊るされているかのように、その場でお行儀よく、じっと浮いとう。なんでも、遥かお空の上にあるお星様(GPS)と電波の糸で通信して、自分の居場所を自分でキョロキョロと確認しながら踏ん張っとるらしい。「おいおい、ワシよりよっぽど方向感覚がしっかりしとるがな!」と、我が身の物忘れの多さを棚に上げて、感心するしか選べんわい。

手元のスマホ画面を見れば、そこにはドローンのお腹にくっついた「四K(よんけー)」とかいう、もの凄く目の良いカメラが捉えた絶景がリアルタイムで映し出されとる。見慣れたはずの加古川の水面が、太陽の光を浴びてキラキラと銀色の鱗のように輝き、遠くの山々の稜線までくっきりと見渡せる。コントローラーのボタンをポチッと押せば、そのカメラの向きを、まるでお辞儀をさせるように滑らかに上下へと動かせるんじゃ。上空から真下を見下ろす加古川の街並みは、まるで精巧に作られたミニチュア模型のようで、自分が一羽の鳥にでもなって雲の間を散歩しとるかのような、妙な錯覚に陥ってしまう。

「……待てよ。ワシは今、空の上から自分を見下ろしとんか」

ふと画面の隅に目をやると、地面にぽつんと立って、首が痛くなるほど上を仰ぎ見ながら、ニヤニヤと締まりのない顔で機械を操っとる小さな爺の姿が映り込んどる。それを見たときは、文明の利器への嬉しさと、己の格好悪さへの恥ずかしさが半分半分で、思わず加古川の風の中でクスッと笑うてしもうたわ。

思えば、ワシらが若かった頃の「空の遊び」いうたら、すべてが「風まかせ、糸まかせ」の素朴な世界やった。駄菓子屋で数十円を握りしめて買うてきた、竹ひごと薄紙で作る模型飛行機を大空へ飛ばしては、気まぐれな突風に煽られてすぐに近所の生垣に突っ込んで翼を破いた。大流行したゲイラカイトの凧を揚げては、「電線に引っかかったら大変や!」とハラハラしながら、糸を巻き取ったもんじゃ。あの頃、空からの景色を見る方法といえば、学校の社会科の教科書に載っとる、飛行機から撮った「航空写真」くらいのもの。空はどこまでも遠く、見上げるだけのものであった。

それが今や、どうじゃ。お小遣いをちょっと貯めて最新の機械を買えば、誰でも自分専用の「空飛ぶ目玉」を持てる時代になった。しかも、その極上の写真や動画を、手元のボタン一つで綺麗に残せるんじゃから恐れ入る。科学の進歩というやつは、ワシらが子供の頃にノートの端っこにワクワクしながら描いた未来の落書きを、いつの間にか、当たり前のように現実のものにしよった。

ただのう、やっぱり「魔法」の道具にも、ちょっとしたボヤキや戸惑いは付きものじゃ。

このお利口さんな新じゃが芋、頭はいいんじゃが、いかんせん体が軽すぎる。河原で調子よく空中散歩を楽しんどったら、川面を「ゴォッ」と強い川風が吹き抜けていったんじゃ。すると、さっきまで空中でピタッと止まっとったはずのドローンが、風の力に押されてズルズル、ズルズルと、川の向こう岸へと流されていくやないか!

「あ、これアカンやつや!待て待て、そっちはダメや、戻ってこい!」

ワシの頭の中は一瞬で大パニックよ。焦れば焦るほど、レバーをどっちに動かせば自分の元へ戻ってくるのか、右と左の感覚が頭の中でごっちゃになり、冷や汗が背中をダラリと伝う。川の藻屑にしてなるものかとパニックになるワシをよそに、ふと「風の強い日は飛ばすな」という忠告と、説明書に書いてあった「ボタン一つで安全に戻ってくる機能(リターンホーム)」の存在を思い出した。藁にもすがる思いで、その「お家へ帰りましょうボタン」をギューッと押し込んだら、ドローンは「ふぅ、やれやれ、手が焼ける爺さんやな」とでも言うように向きを変え、ワシが最初に飛ばした場所へ向かって、トボトボと健気に自動で戻ってきたんじゃ。

無事に足元へ着陸したときには、「心臓に悪すぎるわ!便利すぎて、かえって寿命が縮まるがな」と、誰もいない河原で大声を上げてしまうほどホッとしたわい。

それに、このお空のお散歩をたっぷりと楽しめる時間は、電池一つで二十分ちょっと。短いと思うかもしれんが、操縦しとる間は全神経を指先に集中しとるから、プロペラが止まったときには、まるで大仕事を一つ終えたかのような心地よい疲労感が肩にずっしりと残る。おまけに、スマホの画面に映し出される設定の文字がこれまた豆粒のように小さくて、老眼のワシにはちと判読が厳しいのも玉に瑕(きず)やな。

それでも、着陸してペラが完全に止まったドローンを両手でそっと抱き上げると、健気に回っていたモーターのところがほんのりと熱を持っとる。「お前もあの空の上で、必死に風と戦っとったんやなぁ」と、指先から伝わる温もりに、なんだか我が子のような愛着がじわじわと湧いてくるんじゃ。

「いやはや、本当にええ時代になったもんじゃのう……」

昔、泥だらけになりながら糸の切れた凧を必死に追いかけていた少年時代のワシが、もしも今のワシの姿を見たら、目を丸くして腰を抜かすに違いない。あの夕焼け空の下を走っていた少年が、今や還暦を過ぎて白髪を交え、手元の小さな画面一つで空中散歩を気取っとるんじゃから、人生というやつは本当に何が起こるか分からんし、面白い。

よし、次は風のまったく吹かない、穏やかな小春日和を狙って、山の方の青々とした青葉でも撮りに行こうかのう。今度は風に流されて慌てふためかんように、ワシ自身の操縦技術も、ドローンみたいに少しは「自動調整」されて賢くなってほしいもんやけどな。

焦らず、急がず、明日もボチボチ、新しい景色を探しにいくとしよう。

拙い話にお付き合いくださり、感謝の極みじゃ。
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