養生草紙 第七巻:病院のベンチ、涙の許し
いやはや、診察室の空気というのは、どうしてあんなに冷たく、重たいもんなんじゃろうな。
ワシがひと通り宣告を受けた後、身内も診察室に呼ばれてな。医師から淡々と、一言一句違わぬ「審判」が再び下されたんじゃ。隣で話を聞いとる身内の背中が、みるみる小さうなっていくようで、それを見とるのが何より辛かった。
病院を出て、すぐ家に帰る気にもなれず、庭にあるベンチに皆で腰を下ろしたんじゃ。 そこから、どれくらい時間が経ったかのう。春の日の光が当たっとるはずやのに、体感温度は氷点下。長い、長い沈黙だけが、ワシらの間に横たわっとった。
かける言葉が見つからん。何を言うても嘘っぽうて、喉の奥でつかえてしまうんじゃ。
そんな時、隣からポツリと、「こういうときは、泣いてもいいんよ」という声が聞こえてきてな。 その言葉が、ワシの凍りついた心にずしん、と響いたんじゃ。
「男は強うなけりゃいかん」「病気に負けとる姿を見せてはいかん」と、無意識に自分を縛りつけとったんやろうな。けれど、その一言で、張り詰めとった糸がぷつんと切れた気がした。泣くことで何かが解決するわけやない。けれど、感情を押し殺しとることも、また一つの毒になるんやと教えられた気がするわい。
四十八にもなって、病院のベンチで言葉もなく過ごす午後。 格好は悪いが、「現実」の第一歩なんじゃろう。
不吉な予感は消えんし、死という二文字も頭から離れん。 けれど、弱音を吐いてもええ、泣いてもええと言ってくれる人がおるだけで、少しだけ身体の強張りが解けたようじゃ。
ま、今日はこのベンチの冷たさを忘れないでおこう。 明日からは、また別の顔をして進まにゃならんのじゃから。
皆も、無理に笑おうとせんでええ。 たまには心の栓を抜いて、涙を流すのも立派な「養生」かもしれんぞ。
