養生草紙 第七巻:病院のベンチ、涙の許し  (こぼれ落ちた涙)

診察室の空気、ベンチの沈黙

いやはや、診察室の空気というのは、どうしてあんなに冷たく、重たいもんなんじゃろうな。

壁に掛けられた時計の針の音だけが、やけに鋭く鼓膜を突いてくる。ワシひとりが医師の前に座り、「余命二年」という無慈悲な審判を言い渡されたあの瞬間、診察室の温度は一気に氷点下まで叩き落とされたようじゃった。けれど、本当の試練ってなぁ、そこからさらに追い打ちをかけるようにやってくるもんでございやす。

ワシがひと通り宣告を受けた後、待合室で待機しとった身内も診察室の中に呼ばれてな。

ガチャリと重い扉が開いて、不安そうな顔をした身内が部屋に入ってきたとき、ワシは情けないことに、まともにその顔を見ることができなんだ。医師は、先ほどワシに告げたのと全く同じトーンで、淡々と、一言一句違わぬ「審判」を再び下したんじゃ。「肺せん癌の3期B」「手術は不可能」。その冷徹な言葉が診察室の空間に響き渡るたび、隣で話を聞いとる身内の背中が、みるみる小さうなっていくようで、それを見とるのが何より辛かった。

自分のことであれば、まだ「どうにでもなれ」と開き直る隙間もある。けれど、大切な人間の肩が、絶望の重みに耐えかねて震えているのを見るのは、己の胸を直接むしり取られるよりも残酷な苦しみでござんした。

病院を出て、すぐ家に帰る気にもなれず、病院の庭にある古びた木のベンチに皆で腰を下ろしたんじゃ。

そこから、どれくらい時間が経ったかのう。空を見上げれば、雲一つない春のうららかな陽気が広がっており、柔らかな日の光が当たっとるはずやのに、ワシらの周りだけは体感温度が氷点下。まるで見えないガラスの箱に閉じ込められたかのように、長い、長い沈黙だけが、ワシらの間に横たわっとった。目の前を通り過ぎていく他の患者や看護師たちの姿が、まるで音の消えた古い活動写真のように、現実味を失って通り過ぎていきやす。

かける言葉が見つからん。何を言うても嘘っぽうて、喉の奥でつかえてしまうんじゃ。

「大丈夫や」「なんとかなる」――そんな安っぽい気休めの言葉を口にしようものなら、せっかく保っているこの静かな均衡が、一瞬で木っ端微塵に砕け散ってしまうような気がしてな。昭和の頑固親父に育てられたワシの世代ってなぁ、どうにもこういう極限状態での気の利いた言い回しってやつが苦手でいけねぇ。口を開けば砂を噛むような虚しさだけが広がり、結局はただ、冷え切った自分の手のひらを見つめることしかできなんだ。

そんな時、隣からポツリと、「こういうときは、泣いてもいいんよ」という声が聞こえてきてな。

蚊の鳴くような、それでいてどこか覚悟の決まったその優しい声が、ワシの凍りついた心にずしん、と響いたんじゃ。

その一言を耳にした瞬間、頭の芯がカッと熱くなるのを感じやした。「男は強うなけりゃいかん」「一家の大黒柱が病気に負けとる姿を見せてはいかん」と、無意識のうちに己を縛りつけとったんやろうな。弱みを人に見せず、どんな泥水をすすってでも平然と笑ってみせるのが男の美学だと、そう信じて生きてきた。けれど、その一言で、限界まで張り詰めとった心の糸が、ぷつんと切れた気がした。

涙がとめどなく溢れ、視界が滲んでいく。泣くことで病気が治るわけでも、余命が伸びるわけでも、何かが解決するわけやない。それは分かっとる。けれど、感情を無理に押し殺しとることも、また身体にとっては一つの大きな毒になるんやと、隣にいる身内の優しさに教えられた気がするわい。

四十八にもなって、病院のベンチで言葉もなく過ごす午後。

世間じゃあ働き盛り、これからまだまだひと花もふた花も咲かせられる年齢じゃ。そんな男が、陽だまりのベンチで身内と並んで涙を流している。傍から見れば、なんとも格好が悪い姿に違いない。けれど、これこそが、夢や幻ではない「現実」の第一歩なんじゃろう。綺麗事だけでは渡っていけない、大病という荒波の前に立たされたワシらの、これが紛れもない出発点なのでござんす。

頭の中から不吉な予感は消えんし、死という二文字も、相変わらず脳裏にべったりと張り付いて離れん。

けれど、弱音を吐いてもええ、格好悪い姿のまま泣いてもええと言ってくれる人が隣におるだけで、石のように固まっていた身体の強張りが、少しだけ解けたようじゃ。ひとりで抱え込む絶望は底なしじゃが、それを分かち合ってくれる存在がいることが、どれほど救いになるか。

ま、今日はこのベンチの冷たさを忘れないでおこう。

お尻から伝わってくる、じんわりとした木の冷たさ。春の風の匂い。そして、涙で濡れた手のひらの熱さ。明日からは、また病院の一歩外へ出て、現実という厳しい世間と対峙せにゃならん。また別の顔をして、前を向いて進まにゃならんのじゃから。だからこそ、この最初の敗北の味を、しっかりと胸に刻み込んでおく必要があるんでさぁ。

皆も、人生の途中で大きな壁にぶつかったとき、無理に笑おうとせんでええ。

強がるばかりが養生じゃあねぇんでございます。たまには心の栓を思い切り抜いて、溜まった涙をすべて流してしまうのも、心を健やかに保つための立派な「養生」かもしれんぞ。そうやって一度心を空っぽにしてから、また一歩ずつ、自分の歩幅で歩き出せばええんじゃから。

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ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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