養生草紙 第二十七巻:時を刻まぬ船酔い、自分への恨み言  (抗がん剤の副作用 吐き気、悪心)

一筋縄ではいかんもん

いやはや、参った。病(やまい)との付き合いは、いつだって一筋縄ではいかんもんやと分かっていたつもりじゃが、今回は少々手強い波に飲み込まれてしもうたようじゃ。

あの、白一色の城に滑り込んでから二度目となる「抗がん剤投与の儀式」。一回目の時の拍子抜けするほどの楽さにすっかり安心しきって、磨き上げた坊主頭をごろりと枕に預けて眠りについたものの、まだ夜の帳(とばり)が明けきらぬ午前五時前、得体の知れない違和感に襲われて目が覚めやした。胸の奥深く、ちょうどみぞおちのあたりが静かにモヤモヤとし、水すら胃が受け付けない。朝の検温で看護師さんにありのままを伝えて、追加で小さな白い錠剤の吐き気止めを出してもらったのが、数時間前のことでございます。

あのお薬が胃の中で溶ければ、昼頃にはスッと楽になるもんやと高をくくっとったんじゃが、現実は甘うなかったな。

時計の針が正午を回り、あの食欲を綺麗さっぱり削いでくれるブルーのプラスチック容器に入った昼食の煮物が運ばれてきた頃、明け方の静かなモヤモヤは、引くどころか、じわじわとそのおそろしい正体を表し始めたのでございます。出された配膳には箸をつけることすらできず、ただただベッドの横に突っ伏しているうちに、だんだんと、あの嫌な「船酔い」のような、あるいは激しい「二日酔い」の終わりのような気持ち悪さに変わっていったんじゃ。

こうなるともう、病室の天井がゆっくりと右へ左へと傾いているような錯覚に囚われやす。

目を閉じれば、不思議なもんで、子供のころに親父に連れられて乗った、播州の海を渡る古いフェリーの記憶が鮮明に蘇るんでさぁ。あの独特の重油の匂いと、波に揺られて足元が不規則に浮き沈みする、逃げ場のないあの感覚。

頭の芯が熱を持ったようにぼうっとして、心臓はせっかちな時計の針のように落ち着かずドクドクと脈を打ち、腹の底、胃の腑のさらに奥深くから、正体の知れん不気味なムカムカが、せり上がっては引き、引いてはまたせり上がってくる。まさに全身がふわふわと宙に浮き足立ったような、生身の肉体をどこかへ売り渡してしまいたくなるような、なんとも言えん不快感じでございます。かつて仕事の現場でどんな無理難題にぶつかっても、男の意地と気合で荒波を渡ってきた自負がありやしたが、この身体の内側から容赦なく突き上げてくるケミカルの嵐の前にあっては、四十八の坊主頭の親父も、ただただ無力に震える一人の男に過ぎまんでした。

「いつまで続くんや、これ……。一刻も早く、この嵐が通り過ぎてくれんかのう」

少しでもこの苦しみをやり過ごそうと、奥歯を噛み締め、じっと目をつぶって、ただひたすらに時が過ぎるのを待つ。

病室の中は、他の患者さんの衣擦れの音や、廊下をペタペタと歩く看護師さんたちの足音が遠くで聞こえるばかりで、しんと静まり返っておる。どれくらいの時間が経ったじゃろうか。体感としては、優に一時間、いや、二時間はあの荒波に揉まれ続けていたような心地がいたしやした。

そこで、答え合わせをするように、おそるおそる枕元の時計に目をやってみれば、なんとまだ十分しか経っておらん。

「おいおい、嘘やろ……」と、暗闇に向かって毒づきたくなりやした。この、たった十分の、なんと長く、鉛のように重たいことか。時計の文字盤の針がどっかに引っかかって、本当に時間が止まってしもうたんやないかと本気で疑いたくなるほどじゃ。娑婆(しゃば)でがむしゃらに働いていた頃の十分なんてなぁ、瞬きをする間に通り過ぎていく砂時計の砂のようなものだったというのに、この白いカーテンの檻の中で味わう十分は、まるで終わりのない底なし沼の中を歩かされているようでございました。

こうも不条理で苦しい時間が容赦なく続くと、それまで張り詰めさせていた心の糸がぷつんと切れて、つい暗闇の隙間から弱気がズルズルと心に忍び込んでくるもんで。

ワシはこれまでの人生で、何かバチが当たるような、他人に恨まれるような悪いことでもしたんじゃろうか。それとも、あの入院前夜に「これが最後のご馳走かもしれん」と、家族を連れて馴染みの店で焼肉を腹一杯に食い散らかしたあの我儘のツケが、こんな形で回ってきたんじゃろうか。そんな風に、どうしようもないことばかりを頭の中でぐるぐると組み立てては、自分を恨めしく思うてしまう。普段ブログの画面や人前では「病気なんて人生のスパイスや、後で笑い話にしてやろうじゃないか」なんて、格好をつけた粋な台詞を吐いとるワシじゃが、今ばかりは、情けないことにそんな大口を叩く余裕もありゃあせん。己の小ささと臆病さに、涙が出そうになるばかりでございます。

けれどものう、じっと自分の青々とした頭を手のひらで撫で回しているうちに、ふと、肚(はら)の底が少しずつ静まり返ってくるのを感じたんじゃ。

どんなに激しく揺れる船酔いだって、いつかは必ず港に着けば終わるもんじゃ。夜が明ければお日様が昇るように、この身体の中の大いくさだって、いつまでも続くわけじゃあねぇ。

今はここでジタバタと波を立てて足掻いたところで、胸のモヤモヤが消えてくれるわけじゃなし、インスリンの数値が下がるわけでもありゃせん。自分を責めたって、過去の我儘を悔やんだって病気が治るわけでもなし、今はただ「しゃあない、長い人生、こんな日もあるわな」と、良い意味での諦め半分、開き直り半分で、大人しくベッドに横になっとります。格好悪くても、泥臭くてもええんじゃ。この荒波の中で静かに息を整え、お薬の力を信じて身体を委ねる。それこそが、自由爺としての今の精一杯の戦い方なんじゃないかってね。

明日の朝、パチリと蛍光灯が灯る頃には、あの初めて放射線治療を終えた帰りの廊下で感じたような、雲一つない凪(なぎ)の海が心と身体に広がっとることを切に願って。

皆も、日々の忙しい仕事や暮らしの現場の中で、もし体に少しでも異変を感じたり、心の糸が張り詰めすぎたりした時は、決して無理は禁物じゃよ。男の意地だの世間の常識だので自分を縛り付けず、たまには心の栓を思い切り抜いて、周囲の優しさに甘えてやりなされ。

さて、今夜は余計な先回りの心配事はすべて屋上の風に預けて、このゆったりと流れる重たい時間の流れに身を任せて、ボチボチと耐えていくことにするわ。明日はまた、明日の新しい風が吹くんじゃからな。

【ワシからのお願い(免責事項)】
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
万が一、掲載した情報でトラブルが起きても、当サイトでは責任を負いかねるんじゃ。すまんねぇ。
詳しいお約束事は、こちらの「プライバシーポリシー・免責事項」にまとめてあるで、一読しておくれやす。