養生草紙 第三巻:調べ物(しらべもの)の一日  (気が気でない情報収集)

機械の音に追われて

えー、その日は朝から晩まで、まる一日「検査漬け」でござんした。

お日様が昇る前から病院の大きな自動ドアをくぐり、気がつきゃ外はすっかり帳(とばり)が下りて真っ暗になっている。そんな時間まで、広い病院の中をあっちへ行き、こっちへ戻りと、まるで迷路に迷い込んだ鼠のように歩き回らされたわけでございます。レントゲンにMRI、CTと、名前だけは聞き及んでいた「電脳からくり」の数々に、次から次へと放り込まれる。昔気質のあっしから見れば、どれもこれも未来の化け物じみた巨大な箱でございやす。

白一色の部屋を渡り歩くたびに、自分の体が少しずつ自分のものではなくなっていくような、なんとも頼りない心地がいたしやした。

あの、病院の壁や床のどこを見渡しても混じり気のない白一色の景色ってなぁ、どうにも落ち着かないもんで。まるで自分が、工場のはずれでベルトコンベアーに乗せられ、不具合がないか調べられている「一個の部品」にでもなっちまったような錯覚を覚えるんでさぁ。青い検査着に身を包み、スリッパをペタペタと鳴らしながら次の部屋へ進むたび、これまで培ってきた自負だとか、男の意地なんてものが、一枚ずつ剥ぎ取られていくようでございました。

特にあの、狭い筒の中に仰向けに寝かされて放り込まれる機械ときたら、ありゃあ一興で。

目をつぶっていても、すぐ目の前に迫る機械の壁の圧迫感が伝わってくる。そして、ひとたび検査が始まれば、耳元でガガガ、ドコドコと、まるで工事現場の真ん中に放り出されたような轟音が響き渡る。機械の出す音はどれもこれも無機質で、こちらの不安や都合など、お構いなしに鳴り響きやす。人間が作った機械のはずなのに、そこには温もりなんてものは一切ねぇ。「おい、お前の体の中の秘密をすべて暴いてやるぞ」と、大きな鉄の塊に耳元で怒鳴りつけられているような心持ちで、あっしはただ硬直したまま、嵐が過ぎ去るのをじっと耐えるしかございやせんでした。

そして、すべての大きな機械の検査を終え、ようやく解放されるかと思った矢先、最後に手渡されたのは「痰(たん)」を出すための小さな紙コップでござんした。

「これに、痰を採ってくださいね」

看護師さんから手渡されたそのコップは、手のひらにすっぽりと収まるほど、軽くて、なんてことのない代物でございます。しかしね、それまで大がかりな最新鋭の機械にさんざん弄り回されておきながら、最後の最後で突きつけられたのが、自分の体から搾り出す「生々しい分泌物」を収めるコップだったってぇのが、妙に堪(こた)えやした。

その紙コップをじっと見つめたとき、「ああ、これは夢じゃねぇ、現実なんだ」と、腹の奥がすーっと冷えていくのを感じやした。

それまではどこか、狐につままれたような、映画の登場人物にでもなったような他人事の感覚がどこかにあったんでしょうな。しかし、自分の名が書かれたその小さな紙コップを手にした瞬間、あっしの体に潜む「病」という怪物の存在が、突如として輪郭を持って目の前に現れた気がいたしやした。ごまかしようのない、これが今のあっしの現実。その事実が、冷たい氷の塊のようになって、胃の腑の底にずっしりと居座りやがったわけでございます。

ようやくすべてが終わる頃には、結果がどうこうと案ずるより先に、泥のような疲れが体に溜まっておりやした。

椅子から立ち上がろうにも、腰に鉛でも仕込まれたように体が重い。長年、仕事の現場でどんな無理難題にも応え、徹夜仕事だって平気な顔でこなしてきた自負がありやしたが、病の影を背負いながら受ける検査の嵐ってなぁ、気力も体力も根こそぎ持っていかれるもんですな。隠居の身には、この検査の嵐を乗り切るだけでも、なかなかの大仕事でござんす。

ですがね、帰りのバスを待ちながら、夜風に吹かれているうちに、あっしの胸の内に不思議な静けさが訪れやした。

これまでは、目に見えない迫り来る恐怖から、ただ必死に目を背けようと、足掻いていたのかもしれやせん。けれど、あの無機質な機械の音に追われ、小さな紙コップの現実に直面したことで、かえって腹が据わったというか、覚悟が決まったような気がしたんでさぁ。「これからどんな結果が出ようとも、これが足元にある現実だ。だったら、一歩も引かずに真正面から受け止めてやろうじゃないか」とね。

最新のからくり機械に振り回され、己の小ささを知った一日。

けれどそれこそが、あっしが「自由爺」として、自分の命を誰任せにもせず、自分の手でしっかりと手綱を握り直して生きていくための、手荒い洗礼だったわけでござんす。

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