養生草紙 第三十一巻:味覚の家出と、苦い再会
いやはや、参った。 一寸先は闇とはよう言うたもんじゃが、養生の道中も、角を曲がるたびに見たこともない景色が広がっとるもんやな。
今朝、目が覚めたときは「おっ」と思うたんじゃ。 ここ数日ワシを翻弄し続けとったあの嫌な「船の揺れ」が、だいぶん収まっとる。嵐が過ぎ去った後の静かな海を眺めるような、そんな安堵感が胸に広がったわい。食欲も、まだ「旺盛」とまではいかんが、何とか食べられそうな気がしてきたんじゃ。
運ばれてきたのは、久方ぶりの朝メシ。 パンに牛乳、目玉焼き、そしてゼリー。欠食しとったワシの体にとっては、まさに五臓六腑に染み渡るご馳走じゃ。一つひとつ、噛みしめるようにして完食した。食べられるということが、こんなに心強いもんやとはのう。
少し元気が湧いてきたもんじゃから、ベッドから起き上がってトイレへ向かったんじゃ。その帰り道、ふと自動販売機が目に入ってな。喉を鳴らしながら、久しぶりに大好きな缶コーヒーを買うてみたんじゃよ。
部屋に戻り、ベッドに腰掛けてカチッとプルタブを開ける。 香ばしい香りを期待して一口、含んだんじゃが……。
「……え、え、え、なんやこの味は!?」
思わず、心の中で播州弁が飛び出したわ。 あんなに毎日楽しみにしとったコーヒーの味が、全くせんのじゃ。苦味もコクもどこへやら、ただの得体の知れん「不味い液体」に変わってしもうとる。一口でもう、それ以上は喉を通らんようになってしもうた。
抗がん剤ちゅうのは、味の好みまで奪っていくんやろうか。 食べられるようになったと思ったら、次はこれじゃ。いったいワシの体は、これからどうなっていくんやろ……。さすがの自由爺も、この「味覚の家出」には少しばかり途方に暮れてしもうた。
ま、嘆いても味は戻らんし、これも「新しい自分」との出会いと思うしかないんかな。 コーヒーが不味いんなら、次は何が美味いか探してみるまでよ。
焦らんと、ボチボチ。 明日は明日の風が吹く。皆も、当たり前の「味」を大切に味わいなされよ。
