養生草紙 第三十巻:緩やかなる傾斜と、食卓の上の攻防
三度目の朝がやってきた。 指先の痺れは、相変わらず虫が這うとるような感覚で居座り続けとうが、ありがたいことに、あの激しい「船酔い」の角度が、今日は少しだけ緩やかになった気がするんじゃ。嵐のピークは過ぎたんやろか……。胸のつかえがほんの少し軽くなったことに、心底ホッと胸をなでおろしたわい。
けれど、体は正直なもんじゃ。 運ばれてきた朝飯を前にしても、箸を動かそうという気力が湧いてこん。これでまる二日、通算で四食も抜いてしもうたことになる。
さすがに看護師さんも心配したんじゃろう。大部屋の巡回に来た時に、ワシの枕元で優しく声をかけてくれた。 「自由爺さん、少しでもお腹に入れんと力が持たへんですよ。一口だけでも頑張ってみませんか?」
その気持ちは痛いほど分かる。ワシだって、食べんと治らんことくらい百も承知じゃ。けれどな、入らんもんは、逆立ちしたって入らんのや。無理に詰め込もうとすれば、せっかく落ち着きかけた腹の中のダンスが、またアンコールを始めてしまう。
「堪忍な、今はまだその時やないんや……」
心の中でそう詫びながら、今日も静かに膳を下げてもらうことにした。 無理して頑張るんが養生やない。体の声を聞いて、今は「食べない」という選択をするんも、一つの闘いなんかもしれん。
船の揺れは収まりつつある。 焦らんと、この波が完全に凪ぐのを待つとしよう。 腹が減って「何か食べたい」と思える時が来るまで、今はただ、じっと時を稼ぐだけじゃ。
皆も、周りの期待に応えられん時があっても、自分を責めたらあかんで。今は自分の体の一番の味方でおってやりなはれ。
