養生草紙 第二十四巻:おかえりと青い器、慣れという名の再会 (一時外泊を終えて再入院)
いやはや、とうとう戻ってきてしもうた。二度目の入院初日じゃ。
いやはや、とうとう戻ってきてしもうた。二度目の入院初日じゃ。
住み慣れた我が家の縁側で播州の心地よい初夏の風に吹かれ、村上春樹の分厚い本をめくりながら家族と他愛のない会話を交わした、あの夢のような十日間の自宅療養。昨夜はこれまでの「食べまくる」焼肉とは趣向を変え、命をいただくように丁寧につまんだ瑞々しい刺身の旨みを静かに噛みしめ、我が家の茶碗の温もりにホッと胸をなでおろしていたというのに、お天道様が昇れば無情にも時計の針は進み、ワシはまたあのボストンバッグを抱えて病院の重い自動ドアをくぐることになったわけでございます。
広いロビーを通り抜け、ナースステーションのある見慣れた病棟へ足を踏み入れるなり、顔なじみの看護師さんから「自由爺さん、おかえりー! お家でゆっくりできましたかー?」と、それはもう弾んだ明るう声をかけられてな。
そのお日様のような笑顔と温かい歓迎は本当に嬉しいんじゃが、その言葉の裏にある「おかえり」という響きに、内心では「ああ、本当にこの白一色の城に帰ってきてしもうたか……」と、ちぃとばかり残念な気持ちが頭をもたげたわい。
あの、何てことない、けれど愛おしい奇跡の上になりたっていた「普通の日常」が名残惜しゅうてならんのや。自分の足で行きたいところへ行き、家の大きな画面で映画を愉しむ生活から、わずか数時間でまた「管理される病人」へと引き戻された寂しさは、四十八の坊主頭の男の胸に、播州の冬の浜風のようにつんと冷たく染み渡りやした。
とはいえ、ここは剥き出しの命がひしめき合う戦場、しんみりとしとる暇なんてなぁ微塵もありゃせん。
案内された病室のベッドへボストンバッグを置き、荷物を解くが早いか、待ってましたとばかりにすぐさま「検査のフルコース」が始まったのでございます。
「自由爺さん、じゃあまずは血を採りますね」という看護師さんの声を合図に腕に針を刺され、そこから車椅子やスリッパをペタペタと鳴らしながら、白い廊下をあっちへ行きこっちへ戻り。レントゲン室の冷たい板に胸を押しつけたかと思えば、今度はあの無機質な音がガガガ、ドコドコと響き渡る巨大な電脳からくり、CTにMRIの筒の中へ次から次へと放り込まれる。まるで工場のはずれでベルトコンベアーに乗せられて点検を叩き込まれている一個の部品にでもなっちまったような、あの頼りない心地に追われているうちに、窓の外の景色はあっという間に夕暮れの茜色に染まっておりやした。病院の午前中から午後にかけてってなぁ、どうしてこうも気ぜわしく時間が過ぎていくもんなんじゃろうな。
夕方、すべての検査を終えてベッドの上でハァハァと荒い息を整えているところへ、主治医の先生がひょっこり診察室から現れてな。
手元の新しい検査結果の数値を眺めながら、「自由爺さん、全体的に大きな崩れはないですからね。予定通り、二回目の抗がん剤治療は明日行いますね」と、いつものように淡々と告げられたんじゃ。
「抗がん剤」――その重々しい響きを聞いた瞬間、初めての初陣の時は「ワシ、本当に死ぬんか??」なんて、足の先から凍りつくような暗闇の中で心臓をバクバクさせ、喉の奥がキュッと縮こまるような怯えにとらわれていやした。けれどものう、一度経験しとるというのは、本当に大層な強みやな。
今回は先生の言葉を聞いても、指先が冷たくなるようなこともなく、「ああ、そうですか。分かりました」と、自分でも驚くほど静かに、凪いだ海のように受け入れることができた。一度通った修羅場なら、次からの段取りも、手首から腕の筋へ伝わってくるあのひんやりとした冷たい感覚も、すべて頭の中で計算が成り立っておる。絶望の霧に包まれていた一週間前に比べて、「ワシも随分と肝が据わってきたもんや、自由爺のなせる技じゃな」と、暗闇の中で散髪したての坊主頭をペカペカと叩きながら感心したくらいじゃ。
ところが、そんなワシの「すべてを悟ったような大人の男の顔」を、いとも簡単に、音を立てて木っ端微塵に打ち砕く強敵が、廊下の向こうから配膳車のガラガラという音と共に待っとった。
医師殿の説明が終わり、入れ替わりで運ばれてきた入院後最初のご膳。
そこに佇んでおったのは……またしても、あの見事なまでに人間の食欲を綺麗さっぱり削いでくれる、冷え切った「青いプラスチック容器」に入った薄味の煮物じゃ。
「ああ、これこれ……。やっぱり、これを見ると残念な気持ちになるなぁ」
箸を持ったまま、ワシは思わず苦笑いするしかございやせんでした。昨夜、我が家の食卓で、お気に入りの昭和の音楽を聴きながら長年使い込んだ手に馴染む茶碗で食うた、あの丁寧につまんだ刺身の旨みが、まだ舌の奥に鮮明に残っとるんやろうな。あの温かい陶器の手触りに比べて、この混じり気のない不自然な青い色を見ると、どんなに強がって肝が据わったフリをしていようとも、「ああ、ワシはやっぱり自由な身じゃない、管理される一人の患者なんや」という過酷な現実を、五感を通じて真っ直ぐに突きつけられるような気がして、思わず喉の奥から深い、深い、大きなため息がポロリと出てしもうたわい。男のプライドなんてなぁ、この青い器一枚の前には実にあっけないもんでございます。
ま、器の色の文句を言ったところで、へそを曲げた膵臓の血糖値が下がるわけじゃなし、時計の針が早く進むわけでもありゃせん。器はともかくとして、この中に収まっている薄味の野菜や白米は、ワシの身体を内側から治し、胸の奥の影を討ち果たすための、何にも代えがたい大事な大事な戦の糧じゃ。
明日の二戦目という大戦に向けて、たとえ目をつぶってでも、しっかりとその温もりを胃袋に、腹の底へ収めておかんとな。これが今のワシの戦闘服の一部なんだと、まずは胃袋に呑み込ませてやるだけでございます。
皆も、日々の暮らしや仕事の現場の中で、どうしても避けられん、思い出すだけで胃がキリキリするような「残念な再会」や、憂鬱な段取りが目の前に立ち塞がることがあるかもしれん。けれど、それもこれもすべては己の魂を磨くための立派な一つの修行やと思って、ハハハと大らかに笑い飛ばしてみなされ。強がりの虚勢でもええ、一度言葉に出して笑っちまえば、頭の中で膨らませた恐怖の怪物なんてなぁ、案外ただのハリボテに思えてくるもんでございますから。
二十二時の消灯を告げる静かな館内放送が流れ、パチリと部屋の灯りが消えやした。カーテンの隙間から差し込むかすかな街灯の影を見つめながら、さて、今夜はまずこの固くて見慣れぬ病院のベッドに身体をボチボチと馴染ませて、明日の第一陣の進軍に備えますかな。
新しく相棒になったスマホという魔法の板きれを枕元に置き、毛布を深く被って。
逃げも隠れもしやせん、ワシはワシの道を歩むだけや。また、ボチボチと戦ってきますわ。皆も、穏やかな夜を過ごしなされ。おやすみ。
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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