養生草紙 第十五巻:看板倒れの担当さん? 病院の七不思議
いやはや、入院して一週間。 ようやくここの空気にも慣れてきたんじゃが、ふと自分の枕元のネームプレートを眺めとって、妙なことに気がついたんじゃ。
そこには「担当看護師 ◯◯」と、立派な名前が書いとる。そういえば初日に、「あなたの担当になる◯◯です」と、にこやかに挨拶に来てくれた看護師さんがおったわい。ところが、一週間経った今、その◯◯さんに一度も会うておらんのじゃ。ん?? なぜ??
初日の面談ではな、「意識もしっかりしとうし、日常生活も問題なさそうですね。自由爺さんは入院生活に適応するのが早そうですわ」なんて感心してくれたんじゃ。 ……待てよ。もしかして、あの褒め言葉は「この患者は手がかからんから、放っておいても大丈夫や」という合図やったんじゃなかろうか。
なんや、ほったらかしにされとるようで、ちぃと考えたら腹が立ってきたわい。 「適応しとる」んやなくて、こっちは精一杯「適応しよう」と背伸びしとるだけなんじゃ。四十八の男が一人、癌という得体の知れん敵を前に、坊主頭で白い天井を見つめとるんや。そら、心細いことくらいあるやんか。
病気で弱っとる時は、ちょっとしたことが気にかかるもんやな。普段なら「忙しいんやろ、しゃあないな」で済むことが、今は「ワシのこと、忘れとるんちゃうか」と邪推してしまう。
ま、これも気持ちが守りに入っとる証拠じゃろう。 明日、もし◯◯さんに会えたら、「ワシの顔、忘れとったやろ!」と播州弁で冗談の一つでも飛ばしてやるか。
病院いう場所は、病気を治すとこやが、こういう「心のすれ違い」もあちこちに転がっとる不思議な場所やな。 皆も、寂しい時は「寂しいわい!」と心の中で叫んでもええんやぞ。我慢しすぎるんも、毒になるからの。
さて、明日は誰が巡回に来るかのう。ボチボチ待つとしようかの
