養生草紙 第十六巻:カーテンを開ける笑顔、当たり前の言葉  (寄り添う言葉のありがたさ)

いやはや、人間というもんは現金なもんじゃな。

いやはや、人間というもんは現金なもんじゃな。

昨日は「担当の看護師さんにほったらかしにされとる!」「ワシのことなど誰も気に留めちゃいねぇんじゃなかろうか」なんて、白いカーテンの檻の中でモヤモヤとしたみっともない気持ちをぶちまけてしもうたが、今日は朝からすっかり気が晴れとるんじゃ。我ながら手のひらを返したような変わりように、少々苦笑いするしかございやせんがね、正直、人ひとりのほんのささやかな振る舞い、言葉ひとつで、こうも世界が違って見えるもんかと自分自身で驚いとるよ。

昨夜はまた、消灯後の深い闇の中で「余命二年」という無慈悲な四文字や、なかなか合格ラインの120に届かない高い血糖値の数値を思っては、磨き上げた頭をごろりと枕に預けて、ため息を喉の奥へ押し込む孤独な夜を過ごしておりやした。

ところが、今朝の起床の時間を告げる館内放送が流れた直後のことでございます。

パタパタと廊下を歩く小気味よい足音がワシのベッドの直前で止まったかと思えば、今朝現れた看護師さんがな、シャッと小気味よい音を立ててカーテンを開ける時に、それはもうお日様のような満面の笑みを浮かべ、ニッコリと微笑みながら声をかけてくれたんじゃ。

「自由爺さん、おはようございます! 今日は本当によい天気ですよ。もし体調が悪くなければ、空いた時間に屋上へ散歩にでも行かれたらどうです? ずっと部屋にいるより、きっと気持ちも晴れると思いますよ」とな。

その看護師さんの手元を見れば、今日も相変わらず検温器やインスリンの注射器が並んだ、あの無機質なステンレスのトレイが乗っておる。しかし、彼女の口から出たのは、そんな病気の数字とは何の関係もない、娑婆(しゃば)の香りがする他愛のない世間話でございました。

振り返ってみれば、この白一色の城に滑り込んでからというもの、ワシが交わす言葉といえば、検査の段取りやら、日に三度指先に針を刺して測る数値の話ばかり。お医者先生も看護師さんも、みんな忙しそうに眉間に皺を寄せ、「今日は180ですね」「インスリンの単位を増やしましょう」と、記号のようなやり取りばかりが続いていやした。こんな「日常の当たり前の会話」を交わすことが、入院して以来、一度もなかった気がするんじゃ。

それは、病院という組織の仕組み上、仕方のないことだと頭では分かっておりやした。けれど、知らず知らずのうちに、ワシの心はカラカラに乾ききっていたんでしょうな。

端から見れば、ただの他愛のない世間話かもしれん。けれど、病という目に見えない怪物に怯え、夜な夜な白い天井と向き合う四十八の男にとっては、その一言が、冷え切った心にぽっと灯る炭火のように、じわじわと芯から温かかった。それまで部屋の隅々までどんよりと立ち込めていた病室の重苦しい空気が、彼女の一言で一瞬にして吹き飛んだような気がいたしやした。

カーテンの隙間から、古びたリノリウムの床へと差し込む朝日が、いつもよりずっとキラキラして見えたんは、きっと気のせいではないはずじゃ。

病院という特殊な場所におると、朝から晩までパチンパチンと機械の音に追われ、どうしても「患者」という番号や記号で扱われとるような気分になってしまう。自分の名前ではなく病名で呼ばれているような、自分の人生のすべてがカルテの束の中に閉じ込められてしまったような、そんな言い知れぬ寂しさが胸を締め付けるもんでございます。

けれど、そうやって泥のように心が沈んでいる時、こうして一人の生身の人間として、心に寄り添う温かい言葉をかけてもらえるだけで、ワシの身体の中に「生きたい」「病気なんかに負けてたまるか」という瑞々しい力が、じわじわと戻ってくるような心地がしたわい。

薬を何単位増やされるよりも、一言の温もりがいかに人間の五臓六腑に染み渡るか。播州の男の意地を張って、強がって背伸びをしていた坊主頭のてっぺんまで、じんわりと血が通うのを感じやした。

よし、散歩、行ってみるか。

いつもなら「まだ血糖値が下がっとらんのに」とか「早く癌の治療へ辿り着かねゃならんのに」と焦るばかりじゃったが、あの味気ない青いプラスチックの器も、雲の上の存在のように遠い高い血糖値も、今は一旦すべて忘れることにした。そんなものを背中に背負い込んだままじゃあ、せっかくの散歩が台無しになっちまう。

これから、上着を一枚羽織って、スリッパをペタペタと鳴らしながらエレベーターに乗ってな。屋上の公園へ出て、初夏の風に吹かれながら、あの看護師さんが言うてくれた「よい天気」を、胸いっぱいに、腹一杯に吸い込んできたいと思う。

皆も、日々の忙しい暮らしや仕事の現場の中で、自分の周りにいる大切な人、あるいはすれ違う誰かへの、ちょっとした何気ない一言が、その人の一日を救うこともあるんじゃよ。

「おはよう」でも「お疲れさん」でも、あるいは「今日はええ天気やな」という一言でもええ。人が放つ言葉の温もりってなぁ、時にどんな名医の特効薬よりも、崖っぷちに立つ誰かの命の灯火を強く支えるものになる。失いかけて初めて気づくようじゃあワシと同じでござんすから、今あるその温もりを、どうか出し惜しみせずに周りへ分けてやっておくれやす。

今日はワシも、屋上のベンチで隣り合った誰かや、廊下ですれ違う同じ病を抱えた仲間に、「ええ天気やな、ボチボチ行きましょう」と、恥ずかしがらずに声をかけてみることにするわ。ワシがもらったこの炭火の温もりを、今度は誰かの冷え切った心にそっと移してやる、それもまた、この城での立派な一つの「養生」であり、自由爺としての戦い方なんじゃないかってね。

さて、磨き上げた頭を少し照らしながら、ボチボチ歩き出しますかな。足元はまだおぼつかないが、一歩ずつ、ワシの道を歩むだけや。

【ワシからのお願い(免責事項)】
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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