養生草紙 第十四巻:止まった時計と、高止まりの数字  (治療前の血糖値コントロール)

スタートできん

いやはや、参った。気合を入れ直して頭を丸め、家族や職場の仲間に見送られながら「いざ、抗がん剤との戦いじゃ!」と意気揚々と入院したものの、肝心の治療がスタートできんのじゃ。

昨日や一日の辛抱なら、まだ「出端をくじかれたわ」と頭を掻いて笑っていられたかもしれん。しかし、世の中そうは問屋が卸さない。いつものように蛍光灯がパチリと点灯し、白一色の気ぜわしい午前中が始まり、そして手持ち無沙汰の怪物に脅かされる夜がやってくる。その繰り返しの中で、ただただ病室のベッドの上で天井を見つめるだけの時間が、静かに、けれど残酷に積み重なっていくのでございます。

「血糖値が高い」という、たった一つの、けれど分厚い壁のせいで、治療が保留になってから早5日。

主治医の先生がカルテをめくりながら提示する数字を見つめるたび、ワシはため息を喉の奥で押し殺すしかありやせんでした。なんでもワシの身体は、慢性的に血糖値が150から200という高い数値を行ったり来たりしとるんじゃな。通常の暮らしならいざ知らず、これから体の中に強い薬を流し込もうってぇ時には、この数字が大きな足枷になる。治療を始めてもええと言われる「120」という合格ラインが、今のワシにとっては、まるで雲の上の存在のように遠く感じるわい。

毎日、ただただ時間だけが砂時計の砂のようにサラサラと過ぎていく。

頭の中では「早く癌の治療をせにゃならんのに、この瞬間にも胸の中の影が大きくなっとるんやないか」と、焦りが募るばかりじゃが、現実はどこまでも無情なもんや。病室の外では、他の患者さんが治療のために車椅子で運ばれていき、廊下からはせわしない看護師さんたちの足音が聞こえてくる。ワシだけが世界の歩みから置いてけぼりを食らい、白いカーテンの檻に閉じ込められているような錯覚に陥るんでさぁ。

血糖値を下げるために、日に何度もインスリンの注射が打たれる。その投与される単位が、二単位、四単位、六単位と、日を追うごとに増えていくたび、自分の身体が自分のものでなくなっていくような、そんな薄ら寒い感覚に襲われるんじゃ。

薬の力で無理やり肉体をコントロールされているような、頼りない心地。長年、自分の足で立ち、自分の意志でがむしゃらに働いてきた自負があるだけに、この「まな板の上の鯉」状態ってなぁ、男としての芯をじわじわと削られるようで、どうにも辛いもんでございます。

焦りのせいか、あんなに入院前夜に焼肉を腹一杯に食うていたのが嘘のように、食欲もすっかり失せてしもうた。

配膳されるあの味気ないブルーのプラスチック容器を眺めても、箸を持つ手が重い。それならいっそ、食べなきゃ数値も下がるだろうと思うて、食事を残してみる。ところがどっこい、何も食べず、水だけを喉に流し込んどっても、血糖値が上がるんやから、人間の身体というのは不思議というか、業が深いというか……。

思うようにならん肉体の不思議に、呆れるのを通り越して笑うしかございやせん。播州の職人堅気な頑固親父並みに、ワシの膵臓もへそを曲げとるんじゃろうか。「おいおい、今は身内同士で喧嘩しとる場合じゃねぇぞ」と、自分の脇腹をトントンと叩いて言い聞かせてやりたくなりやす。

朝、昼、晩。

日に三度、食事の前に必ずやってくる「指先に針を刺して血糖値を測る時間」が、今では何よりの苦痛になってきた。看護師さんがトレイを持ってベッドの脇に立ち、小さな針を指先にパチンと突き刺す。痛いのはほんの一瞬じゃが、その後にあのピッと無機質に鳴る機械の音を聞くたびに、「またダメか」「まだ届かんのか」と、不合格の審判を毎日三度も突きつけられるようでな。

外がすっかり暗くなり、二十二時の消灯の時間を過ぎて静まり返った病室で、ワシはひとり、ぼんやりと白い天井を見つめながら、「ワシは何をしにここへ来たんや」と、誰に言うわけでもなく独りごちる夜が続いとる。癌と戦うためにここへ来たはずなのに、その戦場に立つことすら許されない己の境遇が、情けなくて、心細くてかなわん。

ま、そうやって暗闇の中で焦ってみたところで、数値が下がるわけでもなし、病気が逃げてくれるわけでもない。

ジタバタ足掻いたところで、時計の針が早く進むわけじゃあねぇんでございます。今は「この停滞も治療の一部や。大きな跳躍の前に、深く膝を曲げとる時期なんや」と、無理にでも思わんとやってられんわな。これも天の神様がくれた、長い人生のほんのひと休みの時間。そうやって肚を括るしかありやせん。

明日の朝こそは、あの懐かしい「120」という数字に出会えることを祈って、今夜もまた大人しく毛布を被って横になるとするわ。

皆も、日々の暮らしや仕事の中で、物事が思うように進まんでイライラしたり、深い霧の中に迷い込んだような停滞感を覚えたりする日があるやろう。そういう時は、焦ってジタバタと波を立てるより、「今は潮が引いとるだけや。そのうちまた、満ちてくる時が必ずくる」と、大きく深呼吸をして割り切ってみなされ。止まない雨はねぇし、明けない夜もありやせん。

さて、今夜は磨き上げた頭をごろりと枕に預けて、膵臓の機嫌が直るのを気長に待つとしましょうかね。

また、ボチボチとな。

【ワシからのお願い(免責事項)】
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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