太公望の戯れ 第十一話 「50センチの余韻と物欲の底なし沼。老いぼれの財布を狙う釣具屋の罠」 〜濡れた靴下を乾かす暇もなく、文明の利器に導かれて〜
風の便り
車内に充満する冷めきった缶コーヒーの渋い香りと、エアコンの吹き出し口からほんのり漂う川の湿った匂い。 50センチの大ナマズと泥臭い知恵比べを終えた帰り道、ワシはハンドルを握りながら一人反省会に花を咲かせておった。 「今日はたまたま、運が良かっただけやないか……?」 ダッシュボードのメーターがカチコチと刻む音を背景に、ふと足元を見れば、最後の最後に足場を踏み外してドボンと水に浸かり、ぐしょぐしょになったスニーカーがズシリと重たく沈んどる。歩くたびに「ジュポ、ジュポ」と音を立て、湿りきった靴下が足の指にまとわりつく不快感に眉をひそめつつも、胸の奥ではあの腕を痺れさせた強烈な引きが、何度も何度もリフレインしとったんじゃ。あのググッと川底へ引きずり込まれる感覚、思い出すだけで背筋がゾクゾクとするわい。
文明の利器との遭遇
家に帰り着き、泥を落として温かい飯を口に運びながらも、頭の中はあの川底の狂乱でいっぱいじゃ。箸を動かしつつも気になって気になって仕方がない。 そこで、いつものようにインターネットで知恵を借りることにした。昭和の時代なら分厚い図鑑や釣りの専門誌をめくっておったところじゃが、今の世の中は誠に便利じゃ。 「ふむふむ……ほう、そうかいな!」 蛍光灯の光を反射する画面の中には、見知らぬ知恵が次々と湧き出てくる。ワシが今日使っとった糸は「8ポンド」という細いものじゃったが、あのような怪物相手には「20ポンド」という太い頑丈な糸を使うのが筋らしい。「どうりで切れそうで頼りないと思ったわい。あの時、一歩間違えればブツリと切れておったはずじゃ」と、画面に向かって一人で深く首を縦に振る爺がここに一匹じゃ。
昔の道具・知恵との比較
昔はのう、暴れる魚の口から針を外すと言えば、手に独特のぬめりをつけながら錆びたペンチで力任せに格闘するか、そのへんに落ちとる竹の枝でも使って四苦八苦したもんじゃ。魚に暴れられて針が手に刺さりそうになり、肝を冷やしたことも一度や二度ではない。 ところが画面を見ると、「リリーサー」なる魔法の棒のような仕掛けがあるという。魚の口に直接触れずとも、ひょいと引っかけるだけで簡単に針が外れるらしい。なんというハイカラな工夫じゃろうか。 さらに、ワシを大いに悩ませた足元のびちょびちょ問題にも、今は驚くほど軽くて滑らん釣り用の長靴がたくさん出回っとるらしいやんか。 「昔は重たい黒ゴムの長靴で、ズボッ、ズボッっと泥に足を取られながら必死に歩いたもんじゃが、今はこんなハイカラで洗練されたものがあるんかいな……」 道具の進化には、ただただ感心するばかりじゃ。
爺のボヤキ
そこまで調べがついた時じゃ。ワシの腹の底で、何かがパチンと弾けた。 「……もう我慢できん!」 さっきまでの疲れも、濡れた靴下の気持ち悪い不快感もどこへやら、気づけば着替えもそこそこに車の鍵を握り締め、釣具屋へ向かって一目散に車を走らせておったわい。 ガラガラと店の自動ドアが開けば、まばゆい照明の光の中に最新の糸やら、魔法の針外しやら、お洒落な長靴がずらりと並んでワシを待ち構えとる。店内には独特のアブラと新品のゴムの匂いが立ち込め、まるで少年の頃に入った駄菓子屋のような高揚感が込み上げてくる。 「あかん、こんな老人から、いかほど金を巻き上げるつもりなんやろか……」 あまりの品揃えの多さに右往左往し、棚の前を行ったり来たり。懐の寂しい財布の紐を握る手が、プルプルと震えたわい。
自由爺の独白
道具が便利になればなるほど、安心と引き換えにワシらの欲望も果てしなく広がる。 「もっと快適に」「もっと安全に」「もっと大きな奴を」……道具に頼りすぎるのも野暮じゃが、この底なしの探究心と物欲こそが、ワシらをいつまでも少年の心に戻してくれる「釣りの毒」なんじゃろうな。 まんまと釣具屋の罠にかかりそうなワシじゃが、皆さんも道具の沼にはまって抜け出せなくなった経験はあるかのう?
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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