第三話 (ちょっと隠居前のお話 その弍)魔法の耳 過去の声を 紙に書く
いやはや、驚いた。 二〇二四年の十二月。加古川の冷たい浜風が首筋をすり抜けていく季節。世間は正月準備で忙しない頃、ワシは退職という大きな節目を数ヶ月後に控え、ある「奇妙な板」を手に入れた。それが「AIレコーダー」じゃ。
形は昔の計算機を細うしたような、手の平に収まる小さな機械。これがワシの隠居生活の、最初の「心強い戦友」になるとは思わなんだ。この機械、何をしてくれるかと言うたら、これがもう「耳の良い小人が中に住んどる」としか思えん。会議や打ち合わせの時に机に置いておくだけで、喋った言葉を一言一句聞き逃さず、暗闇の中でせっせと文字に書き起こしよるんじゃ。
「今日の会議、結局何が決まったんや?」と聞けば、「宿題はこれですな」とリストまで作りよる。 「これも、四十年前のワシに持たせてやりたかった……!」
思えば現役時代の議事録いうんは修行やった。上司の早口な指示を、耳を皿にして聞き、ノートを真っ黒にしてペンを走らせる。終われば暗号のようなメモを解読して清書。一言聞き逃して「部長、あそこは何て?」なんて聞きに行こうもんなら、雷が落ちたもんじゃ。あの、カセットテープを巻き戻す「キュルキュル」いう音……あれがワシらの「時間の削れる音」やった気がするのう。
隠居してからも、この魔法の耳は大活躍じゃ。年金事務所、税務署、警察署、市役所、ハローワーク……どこへ行っても出てくるのは横文字や難しい法律の話ばかり。「えーっと、その受給要件いうんは?」と一度聞いても、家に帰る頃には半分忘れるのが悲しき爺の脳みそ。
そこでコイツの出番じゃ。窓口で「復習のために録らせてもらっても?」と断り、机に置く。帰宅して「今日、担当の人はなんて?」と聞けば丁寧に教えてくれる。おかげで初めてのことでも、少しも怖うなくなった。
現役の皆の衆に言いたい。「書く時間」や「思い出す時間」は全部こいつに任せなはれ。空いた時間で、大切な人の顔を見たり、旨い茶を飲んだりしてほしい。時間の概念が変わるいうんは大げさやない。ワシらみたいな爺の「足りんところ」を補ってくれる、優しい道具。
さて、小人をポッケに忍ばせて、今日もボチボチ出かけるかのう。
