養生草紙 第四十巻 全ての敵が暴れ出す夜、明石焼きに流す涙(副作用)

いやはや、参った。

いやはや、参った。本当に参った。 3回目の抗がん剤治療をどうにか終えた翌日じゃが、今回はこれまでの比ではない。今までで一番厳しい試練が、この老体に容赦なく襲いかかってきとる。 夜中に突如として鎌首を持ち上げてきたあの忌々しい「嗅覚障害」と、胃の底からせり上がる不快な「船酔い」の感覚。この二大巨頭による悪夢のダブルパンチのせいで、夜を徹して一睡もできやせん。ようやく眠りにつけたかと思えばすぐに目が覚めるという浅い睡眠のせいで、朝から頭はずうっと重くぼーっとしてな。まるで濃い霧の中に一人ぽつんと閉じ込められたような、なんとも心細い心地じゃった。

毎回、何かしらの新しい症状が追加されていくんじゃが、

毎回、何かしらの新しい症状が追加されていくんじゃが、今回はタチが悪い。手足の先がジンジンと痛む痺れ、喉を焼くような食道炎、そして肌をいじめる皮膚炎。これらがまるで裏で示し合わせたかのように、一斉に蜂起して私の身体の中で大暴れしとうのじゃ。 ようやく点滴の針こそ抜けたものの、病院ちゅうのはつくづく容赦のない場所じゃな。身体がフラフラで真っ直ぐ立つこともままならん爺を尻目に、血液検査、レントゲン検査、さらにはあの独特の熱さを感じる造影剤を使ってのCT検査が、まるでベルトコンベアーのように次から次へと押し寄せてくる。 迷路のような広い病院の中を、あっちの検査室へ行き、こっちの待ち合いへと右往左往しながらこなしていくのは、正直、骨が折れるなんてもんやあらへん。まるで千切れた案山子(かかし)が風に煽られて歩いているような気分じゃった。

そんな状態じゃから、食欲なんてものは綺麗さっぱり家出してしもうた。

そんな状態じゃから、食欲なんてものは、どこか遠くへ綺麗さっぱり家出してしもうた。 規則正しく運ばれてくる朝の香ばしいパンも、昼の芳醇なカレーも、夜の丁寧に作られた魚の煮付けも、今のワシにとってはただの砂を噛むようなもの。一口すらうまく受け付けんのじゃ。「食べんと体力が持たん」「戦う武器を補給せねば」とは頭で分かっとるが、喉が完全に拒絶して通らんもんは通らん。 ベッドの上でトレイを見つめながら、さすがに自分が情けのうなってな。藁をも掴む思い、いや、神仏にすがるような思いで、震える手でナースコールを押したんじゃ。 「看護師さん、もう贅沢は言わん。ご飯(コメ)のような固形物は喉を通らんから、せめて……せめてご当地名物の明石焼きみたいに柔らかくて、ツルッと喉を滑り落ちてくれるようなものに変えてもらうわけにはいかんじゃろうか……」と、恥を忍んで必死に懇願してみたんじゃ。

すると、どうじゃ。

すると、どうじゃ。捨てる神あれば拾う神あり、とはよく言うたもんやな。 私の悲痛な訴えを聞いた看護師さんが、ふっと目元を和らげて、笑顔で「自由爺さん、実はね……」と耳打ちしてくれた。 なんと、この白い巨塔のような病院の食事には、一般には知られていない隠された『裏メニュー』が存在しとったんじゃ! 聞けば、喉越しの良いうどんやそば、ワシが涙ながらに切望した明石焼きやお好み焼きといった粉もん、さらには小さなおにぎりや温かいラーメンまで、患者の体調に合わせて色々と選べるようになっとるちゅうやないか。 「おいおい、そんな強い味方が最初からおるんなら、頼むからもっと早くに教えてよ!」 と、心の中で半泣きになりながら、嬉しさと驚きで叫んだわい。

さっそく手配してもらい、しばらくして目の前に運ばれてきた。

さっそく手配してもらい、しばらくして目の前に運ばれてきたのは、湯気をふんわりと立てる温かいお出汁と、黄色くふっくらとした明石焼き(こちら地元の人間は玉子焼とも言うな)。 おそるおそる、箸で崩さぬようそっと口に運ぶと……あぁ、出汁の優しい滋味が、腫れ上がった喉をすんなりと通り、空っぽのお腹にじんわりと染み渡っていった。 喉のヒリヒリとした痛みも、薬のせいで狂っていた味覚の違和感も、この懐かしい温かさに少しだけなだめられた気がしてな。まさか、四方を無機質な壁に囲まれた病院のベッドの上で、大大好きな地元の味に救われるとは思ってもみんかった。 嬉しさと、安堵感と、そして優しさに甘えられた自分の情けなさが全部ちゃんぽんになってな。お汁をズズッとすすりながら、目からポロポロと涙がこぼれ落ちてしもうたわい。出汁の味が、ちょっとだけしょっぱくなったかもしれん。

敵は手強いし、体はボロボロじゃ。

敵は手強いし、体はボロボロじゃ。けれど、あの暗闇の孤独な夜を乗り越えて、こうして故郷の温かいものを口にできとる。それだけで、今日のワシは大金星、大勝利じゃ。 まー、焦らんと、ボチボチな。お腹が少し満たされて人心地ついたから、今夜は相棒のiPhoneで懐かしい景色でも眺めながら、ゆっくり休むとしますわ。 皆もな、生きていればしんどい時は必ずある。そんな時はプライドなんか捨てて、周りに「助けて」「苦しい」と声を上げなはれや。きっと、誰かが美味しい解決策や、温かい手を差し伸べて持ってきてくれるもんじゃ。では、今夜はええ夢をみなされよ。おやすみなさい。

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ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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