養生草紙 第三十二巻:眩しき同僚と、瞼の重みに灯る感謝  (職場からの見舞いと復職への想い)

容赦なく押し寄せて

いやはや、参った。病(やまい)との付き合いは、一寸先は闇、角を曲がるたびに見たこともない不条理な景色が広がっとるもんやと、家出した味覚を前に途方に暮れたのが昨日の朝のことでございます。

二度目の抗がん剤という「儀式」を終えて、ようやくあの、お腹の底の狂ったダンスや、子供のころに乗った古いフェリーを思い出させるような荒波の船酔いからは解放されたんじゃが、どうにも世の中そうは問屋が卸さない。人生の嵐というもんは、こちらがようやく息を吐いた隙を突いて、今度はまた別の波が容赦なく押し寄せてきとう。肉体の内側、体の隅々で、また新しい変化が静かに起きとるようじゃ。

手足の痺れは相変わらず無数の電気虫がザワザワと這いずり回っとるような感覚のまま、何食わぬ顔で四肢に居座り続けとうし、何よりあの「味覚の家出」という障害が、日を追うごとにひどくなってきおった。

昨日おったまげた缶コーヒーの味だけやなく、出された配膳に箸を伸ばし、何を口に運んでも味が全く定まらんのじゃ。苦味もコクもどこへやら、塩気も甘みも霧の向こうに隠れてしまったような頼りなさ。長年、娑婆(しゃば)におった頃は、仕事の合間の美味い一杯や、入院前夜に家族と腹一杯に詰め込んだ馴染みの店の焼肉を楽しみに生きてきた、自他ともに認める食いしん坊のワシには、この味のない世界ってなぁ、ちと骨身に堪えるのう。生きる彩りを一枚ずつ剥ぎ取られていくようで、味気ないブルーのプラスチック容器を眺めてはため息を喉の奥へ押し込む日々でございます。

それに加えて、ここ二、三日は、瞼(まぶた)が異常に重たいんじゃ。

ただの寝不足や疲れという生易しいもんじゃあねぇ。時折、椅子の後ろから散髪したての青々とした坊主頭の髪の毛を、見えない手でぐいっと後ろへ引っ張られているような奇妙な感覚になって、頭の芯がボウッとなり、ふっと意識が遠のくことがある。まるで、昭和の古い映画館で、上映中に突然フィルムがカラカラと音を立てて切れて、目の前が真っ暗になるような、そんな頼りない心地じゃ。

目が重たいもんじゃから、手持ち無沙汰の怪物から逃れるために、ベッドの上で大好きな本を読むことも、この入院を機に新しく相棒に迎えたスマホという魔法の板きれの画面を眺めることも、今のワシにはままならん。ただじっと、病室の容赦ない蛍光灯の白い光を避けるようにして、静かにカーテンを閉め、一日の中で横になっとる時間がますます増えたわい。

そんな風に、深い霧の中に迷い込んだような停滞感の中で、ベッドのシーツと睨み合っていた折、病室の引き戸がガラガラと静かに開いたんじゃ。

「自由爺さん、お見舞いの方が来てくれましたよ」

看護師さんの声に導かれるようにして、真っ白なカーテンの隙間からひょっこりと顔を出したのは、なんと、会社の同僚たちじゃった。わざわざこの Kakogawa の病院まで、仕事をやりくりして見舞いに来てくれたんじゃ。

久しぶりに見るなじみの顔ぶれに、それまでの鬱々とした気分の悪さもどこへやら、胸の奥が一瞬でパッと明るくなってな。「おお、みんな、わざわざすまんなぁ! 元気しとったか?」と、いつものがむしゃらな大黒柱に戻ったような勢いで声をかけたんじゃが、間髪入れずに「その言葉、まるまる自由爺さんにお返ししますよ!」と、息の合った漫才の掛け合いのような返事が返ってきたわ。

「頭、ずいぶん潔く丸めましたね!」「これなら毎朝のセットも楽やろ」なんて、ワシの坊主頭をネタにしながら、一頻(ひとしき)りドッと病室で笑い合うたんじゃが、ふとみんなの姿を静かに眺めると、外の世界でバリバリと汗を流して働いとう彼らのワイシャツ姿や生き生きとした表情は、病み上がりのワシの目には、なんとも眩しく、エネルギーに満ちあふれて見えました。

翻って、今のワシの姿を見れば、何日も着替えていないヨレヨレのジャージ姿に、床屋の親父さんに思い切り丸めてもらった青坊主。

「余命二年」という無慈悲な宣告を受け、日に三度の指先の針刺しやインスリンの管理に追われ、病室という四角く限られた空間に閉じ込められておる自分と、娑婆の最前線で走り続ける彼らを比べて、頭じゃあ「今は治療の時期や、しゃあない」と、わかっちゃおるんじゃが、どこか世間の歩みから自分だけが「置いてけぼり」にされたような、一抹の寂しさが胸の真ん中をチクリと冷たくかすめたんじゃ。

けれどな、そんな小っぽけな男の感傷なんてなぁ、彼らが帰り際にベッドの脇へ置いていってくれたプレゼントの包みを開けた瞬間、一瞬にしてどこかへ飛んでいってしもうた。

もらったのは、寝返りが打ちやすい横向き用の枕と、手触りのええ柔らかなニット帽。

これには本当に、おったまげた。今のワシが、ベッドの上で横になる時間が増えて「これがあったら少しは体が楽やなぁ」と思うていたところや、スリッパをペタペタ鳴らして廊下に出る時に「青々とした坊主頭がちぃと恥ずかしいなぁ、冷えるなぁ」と感じていたところを、まるで見透かしたような心のこもった贈り物じゃった。

仕事の話でバカ笑いしながらも、彼らは言葉にせずともワシの今の暮らし、今の痛みを、静かに案じてくれとったんやなぁと思うと、胸の奥がじーんと熱くなってな。ありがたくて、ありがたくて、感謝、感謝の気持ちで胸がいっぱいになったわい。

体は重く、目は塞ぎがちじゃが、心にはポッと温かい炭火の灯がともった、本当に良い一日じゃった。

ワシは世間から置いてけぼりなんかやない。この大戦(おおいくさ)を乗り越えた先には、ワシの帰りを首を長くして待ってくれとる場所が、信じてくれる仲間たちが、確かに娑婆に厳然と存在している。そう思えるだけで、この指先のジンジンとした痺れも、鉛のように重たい瞼の重みも、不思議と「こんなもん、たいしたことないわい」と、なんとか笑顔でやり過ごせる気がするんじゃ。

薬の力だけじゃあねぇ、人と人とのつながりの温もりこそが、崖っぷちに立つ人間の命の灯火を一番強く支える特効薬になりますからな。

さて、二十二時の消灯を告げる静かな館内放送が流れ、病室のパチリと灯りが消えやした。

今夜は、仲間たちが置いていってくれたあの新しい枕をそっと試しながら、彼らの優しさを背中に感じて、毛布を深く被って早めに休むとしようかの。焦って時計の針を早く進める必要はねぇ。焦らんと、ボチボチ。明日には少しでも、この目が軽うなって、窓の外のええ天気がキラキラと見られることを願って。

皆も、日々の忙しい暮らしや仕事の現場の中で、心が折れそうになる夜があったら、男の意地だの世間の常識だので自分を縛り付けず、身近な人の優しさに、そっと甘えられる夜でありますように。

明日はまた、明日の新しい風が吹くんじゃからな。それじゃあ、また。ボチボチとな。おやすみなされ。

【ワシからのお願い(免責事項)】
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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