太公望の戯れ 第二話 釣りは、黙って待っとってくれた
長い長い人生の回り道を経て、ようやく懐かしい水辺へと帰ってきた、ある男の不器用な再出発の物語でございます。
あの熱狂的なバス釣り一色じゃった少年時代が過ぎ、大学へ行き、そのうち社会という名の荒波へ容赦なく放り出され、気がついたら釣りという遊びは、ワシの生活の真ん中からずいぶん遠い、見えんところへ行ってしもうとった。
いや、決して釣りが嫌いになったわけでもない。もう金網を握りしめて川へ行くのをやめようと、心に決めた覚えも毛頭ない。ただ、時間がなかった。ほんに、それだけの話じゃったんよ。
若い頃は講義に、バイトに、明日の就職の心配。いざ社会に出りゃあ、右を向いても左を向いても仕事だ責任だ人間関係だと、目の前の帳面を片付けるだけで、気がつけば一日がアッという間に終わっとる。たまの休みはあっても、日々の激務で泥のように疲れた体と気持ちが、とてもやないが遊びにまでついてこん。「また今度な」「仕事が落ち着いたらや」……そんな言い訳を自分に何年も、何十年も言い続けとるうちに、あれほど宝物じゃったロッドは押し入れの奥の奥へ、楽しかった釣りの記憶は、さらにその暗闇の奥へと、埃にまみれて押し込まれていったんじゃ。
それでもな、男の意地というか、心のどこかで薄々分かっとったんじゃろうな。ワシの釣りは、完全に終わったんやない。ただ、ちょっと長い間を置いて、道具を休ませとるだけやと。
ところがじゃ、その「もう一度竿を振りなはれ」という再会の合図が、えらく皮肉で手厳しい形でやって来た。それは、ガンの大病を患い、そのきつい治療がようやくひと区切りついた頃のことじゃった。
お医者様から「ひとまず安心」と言われ、治療が終わったからといって、人間の心というやつは、そう簡単にパッと軽うなるわけやない。体は順調に回復しとるはずなのに、どういうわけか頭の中だけが、四六時中やたらとうるさいんじゃ。「これからどうする。残された時間で、何を大事に生きていけばええんや」……考えれば考えるほど、四角い画面の向こうにも答えは出んで、ただただ精神が疲れるばかりの毎日じゃった。
そんなある日の昼下がり、窓の外をぼんやり眺めとったら、ふと頭の中に、あの若かりし頃のキラキラした水面が浮かび上がった。「……久しぶりに、釣りでもするかのう」
そこに深い理由はこれっぽっちもない。病気に打ち勝つための前向きな決意でもなければ、立派な趣味の再開でもない。ただ、一人で正解のない天井を見上げて考えることに、ワシの心がすっかりくたびれとったんじゃろうな。
そうと決まれば善は急げ、何年ぶり……いや、何十年ぶりかに足を踏み入れた街の釣具屋は、正直に言わせてもらえば、ワシの知らんまったくの「別世界」じゃった。棚には色とりどりの道具がきっちりと並び、魚の種類ごとにジャンルは細かく分けられ、壁にズラリとぶら下がったルアーの数は、もう無限にあるように見えたわい。
昔はな、「ラパラのプラグか、ゲーリーのワーム、これだけ投げときゃ、まあ何とかなる!」そんな大雑把で、大らかな時代じゃったんだがのう。
いま目の前にあるロッドに、リールに、ライン。どれを見ても硬さだ、長さだ、最先端の素材だのと能書きが書いてある。初心者向け、上級者向け、果ては用途別。……おいおい、カタカナばかりで正直、爺の頭がちっともついてこんわい。
ひとりで棚の前で腕組みをして立ち往生しとったら、店の若い店員さんが「何かお探しですか」と、実に気持ちのええ声で声をかけてくれたんじゃ。ちょいと白髪頭を掻いて照れくさかったが、見栄を張っても仕方がない、正直に胸の内を白状した。「いやぁ、昔はちょっとや見とったんやが、何十年ぶりでのう。浦島太郎状態で、ほとんど忘れてしもうてな」
するとその若い衆、ワシのようなロートル相手に嫌な顔ひとつせず、「それなら、今のトレンドはですね」と、実に丁寧に道具の特徴を教えてくれたんじゃ。カーボンがどうの、ギア比がどうのと、昔のワシが知らんカタカナの専門用語が、次から次へと溢れ出てくる。それでも、不思議と嫌な気持ちにはならんかった。歳を重ねて頑固になると、人から物を教わる機会は減っていくもんじゃが、こうして若い世代から知らんことを素直に教わるのも、悪うないもんじゃな。
そうして彼に熱心に教えてもろうて、ようやく一式をそろえた。握りやすい最新のロッド、滑らかに回るリール、丈夫なライン、そして釣れそうなルアー。レジでお金を払い、ずっしりとした買い物の袋を受け取ったその時、あの少年時代の放課後と同じ感覚が、胸の奥底でほんの少しだけ、熱い火を灯すように戻ってきたんじゃ。
ああ、これや。これから何かが始まる前の、あの胸がソワソワする心地よい緊張感じゃ。
そして、ワシは期待を胸に加古川の釣り場へと向かった。実に久しぶりに訪れた水辺は、あの頃と変わらず、どこまでも静かじゃった。
耳をくすぐる川風の音、優しく揺れる水面のきらめき、遠くの空を横切る鳥の声。ただ土手に立ってそれらを五感で受け止めるだけで、カチカチに強張っとった胸の奥の結び目が、少しずつ緩んでいくのが分かったわい。
よし、行くぞと、気合を入れて運命の第一投。――バササッ!と景気のいい音がして、見事なまでの盛大なバックラッシュ。「……あちゃー、やっぱりな」
気を取り直して第二投。しかし、またもや糸が絡む。第三投。「あれ?」「あれれおかしいな?」まるでルアーが遠くへ飛ばんのじゃ。糸は絡む、狙ったポイントへは届かん、何もかもが思うようにいかん。昔はもうちょいマシに、格好よく投げられとったはずなんじゃがなぁ。「ワシもこんなに下手になっとったか」と、堤防の上でポツンと一人で苦笑いするしかなかったわい。
じゃがのう、不思議なことに、悔しさや情けなさよりも、己の不器用さが可笑しくて仕方がなかったんじゃ。うまくいかんくて泥臭い作業をしとるのに、なぜか頭の中は、嘘のようにすっきりと軽かった。
ここには、病気のことなんて一秒も考えんでええ時間がある。会社や社会から「結果を出せ」と急かされんでええ時間がある。ただ無心になって竿を振り、リールを巻いて、また投げる。
結局、その日は魚の顔を拝むことはできず、釣果はゼロのボウズじゃった。でも、それで十分よかったんじゃ。釣りというやつはな、単に腕前を上げて上手くなるためだけのもんやない。ましてや、誰かに点数をつけられて評価されるもんでもない。ただ静かに、自分の歩幅とペースで大自然と向き合える、極上の時間じゃったんやと、あらためて加古川の神様に気づかされたわい。
長いこと勝手に離れとった不義理なワシなのに、釣りという遊びは、ワシを何も責めんはぐらんかった。
下手くそでも、大切な段取りをすっかり忘れとっても、「まあ、そんな焦らんと、ボチボチやりなはれ」と、光る水面が優しく言うてくれとる気がした。釣りというやつは、ワシが人生の迷子になっとる間も、あの押し入れの奥で、黙って帰りを待っとってくれたんかもしれんな。
バックラッシュだらけで指先を泥だらけにした一日。それでも、道具を片付けて車へ戻る帰り道は、来る時よりもほんの少し、足取りが軽うなっとった。
――次は、もうちょいマシに格好よく投げられる気がしたからの。明日もボチボチ、新しい一投を投げにいくとしよう。
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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