太公望の戯れ 第四話 変わってしもうたもん、変わらん気持ち
人生の荒波をくぐり抜けて戻ってきた水辺で、時代の移り変わりという名の、ちょいと切なくて厳しい現実の壁にぶつかった爺のお話でございます。
翌日。
昨日の、あのナイロン糸が鳥の巣のようにクシャクシャに絡まりまくった、バックラッシュだらけの一日。指先を泥だらけにして糸と格闘した余韻を、可笑しくも少しばかり悔しく思い返しながら、ワシは朝からふらりと軽車を走らせて、街の釣具屋へと向かったんじゃ。今日いきなり釣り場へ行ってまた糸を絡ませる前に、最近の川の様子や道具の扱い方でもちょっと知っとこう。そんな、実にお気楽で軽い気持ちの寄り道じゃった。
自動ドアをくぐって店に入ると、天井の蛍光灯に照らされて、最新のロッドやリールが隙間なくきっちりと並び、相変わらずその品揃えの凄さに圧倒される。昨日は「もう一度、お空の下で竿を振るんじゃ!」という猛烈な勢いとハラハラ感だけで一式をそろえたが、さすがに二日目ともなると、棚の並びを落ち着いてじっくりと眺める心の余裕が生まれるもんじゃな。
懐かしいプラスチックのルアーが詰まった棚の前で、白髪頭を掻きながら立ち止まっとると、「いらっしゃいませ。昨日はどうでした?」と、声をかけてきたのは、ありがたいことに昨日あれこれと親切に教えてくれた、あの物知りな若い店員じゃった。
ワシがちょいと極まり悪そうに「いやぁ、実を言うとな、投げるたびに見事な鳥の巣を作ってしもうてな」と、昨日の大苦戦を白状すると、彼は「あはは、ベイトリールは最初はそうなっちゃいますよね」と、苦笑いしながら深く頷いてくれたんじゃ。そこから自然と話の穂先が広がり、昔と今の釣り事情、いわゆる「最近の令和の釣りを取り巻く環境」の話になった。
ところがのう、その彼の口から溢れ出てくる現代のリアルな話をじっと聞いておるうちに、ワシの胸の奥が、なんだか冷たい風が吹き抜けたようにざわつき始めたんじゃ。
まず、何よりも驚き、そして情けなくなったのが一つ。
釣り人のマナーが、ワシらの若い頃とは比べものにならんほど悪うなってしもうて、その結果、日本全国あちこちで「釣り禁止」になってしもうた場所が、えらく増えとるらしいんじゃ。河原や堤防へのゴミのポイ捨て放置、近所の百姓衆や住民の迷惑を考えん無断駐車、夜中に大声で騒ぐ騒音問題、果ては「入るな」と書いてある立ち入り禁止の柵を乗り越えての侵入。ほんの一部の人間の身勝手で行儀の悪い行いのせいで、ワシらが昔、それこそ当たり前に立って竿を振ることができた野池も、のどかな川沿いの特等席も、今じゃあ右を向いても左を向いても、どこもかしこも「入るべからず」の看板だらけになってしまっとるそうじゃ。
そして、もう一つ。
釣り人の問題だけやなく、自然環境そのものが大きく変わってしもうて、水の中の魚の数自体が、ほんに少のうなっとるという、これまた寂しい話じゃ。水質の変化、安全のためのコンクリート護岸工事、それに外来種を取り巻く法律や生態系の変化の問題。ワシらが泥んこになってバスを追いかけとった昭和のあの頃とは、釣りを取り巻く環境は、文字通り「まるで別の世界」に様変わりしとったんじゃな。
店員さんの真剣な表情を見つめながら話を聞くうちに、ワシの脳裏には、昨日ひとりで立っとったあの静かな釣り場の光景が、まざまざと浮かび上がってきた。あそこには、ワシの他に釣り人の姿は一人もおらんかった。ワシはてっきり「人混みがなくて、落ち着いて趣味に没頭できるええ場所を見つけたわい」と一人で得心しとった。だが、あれは違う。のんびり釣りができる「人気がない穴場」なんやなくて、本当は「もう魚が居なくなって、誰も釣る人がいなくなった場所」じゃったのかもしれんな……。そう考えたら、なんだか急に胸が締め付けられるように痛んだ。
店を出たあと、気がつくと、ワシは自宅とは正反対の方向、つまり昨日のあの釣り場へと無意識に車のハンドルを向けとったんじゃ。
自分の目で、確かめたかったんじゃろう。現地に着いて車を停め、長靴も履かずに土手に上がって、辺りをぐるりと見渡してみる。昨日と同じように、やはり人の気配はまったくない。五月の爽やかな川風は吹き、加古川の水面は太陽を浴びてキラキラと揺れとるのに、人の営みの気配だけが、ぽっかりと抜け落ちとる。
そのときじゃ、ワシの老眼の視界の端に、昨日には見落としとった、見慣れん四角いものが飛び込んできた。
草むらに半ば埋もれるようにして、錆びかけた鉄の看板が、黙って、そこに立っとった。表面の剥げかかった赤い文字を目を細めて読み解けば、そこには冷酷に「釣り禁止」の四文字が刻まれとったんじゃ。
その瞬間、ワシの胸の奥が、すうっと音を立てて冷えていくのが分かった。
「……なんや、ここは投げたらアカン場所やったんか」
昨日は、ただ目の前の水面に夢中じゃったのか。それとも、新しく買った道具を使いたい一心で、見たいものだけを見て、都合の悪い看板を見んふりをしとったのか。自分でも、もう分からん。ただただ、己の世間知らずさとマヌケさに、しばらくその場に呆然と立ち尽くすしかなかったわい。
もちろん、そんな場所でカバンからロッドを取り出す気にはなれんかった。せっかくピカピカに磨いた最新の道具は、触ることもせず、静かに軽車の後ろへ戻した。
「……そういうことか。時代は、変わってしもうたんやな」
誰に言うでもなく、誰もいない寂しい土手の上で、ぽつりと独り言を呟いた。その声は、川のせせらぎにかき消されて、どこかへ消えていった。
トボトボと家に帰り、居間の座卓に腰を下ろして、今度はパソコンの画面を開いた。今度はただ妄想を膨らませるだけやなく、ネットの海から「今の加古川の、本当の釣り場情報」を必死に集め始めたんじゃ。電子地図を広げ、地元の釣り師たちのブログを読み、SNSの呟きや、ネットの掲示板の書き込みを隈なく調べる。
いやはや、昔なら考えられんほどの膨大な情報が、画面いっぱいにズラリと並ぶ。マナー違反のせいで釣りに不便な時代にはなったが、こうして情報を探すことに関してだけは、ほんに便利でありがたい時代になったもんじゃ。
いま本当に釣れる場所、もう全然釣れん場所、法律でお国から禁止されとる区域、そして釣り人の間で守るべき細かいマナーの注意書き。画面をスクロールするたびに、釣り人のええ話も、目を背けたくなるような厳しい現実も、一気にワシの目に飛び込んでくる。
ページをめくるたび、デジタルな文字がワシの胸に、何度も何度も突きつけられる。「……おい爺さん、お前が生きてきた昭和とは、もう何もかもが違うんやで」とな。
それでもな、不思議なことに、ワシの気持ちはちっとも折れんかったんじゃ。
むしろ、冷水を浴びせられたことで、頭の中がすっきりと透き通るようにはっきりしたわい。もう、昔のように「自分の勘だけを頼りにして、どこでだって好き勝手に投げればええ」という時代じゃない。じゃが、だからといって、ワシの釣りがここで完全に終わったわけでもないんじゃ。
今の環境がどうなっているのかを正しく知り、決められたルールを厳格に守り、自然を大切にいたわりながら、限られた場所で工夫して魚と向き合う。泥臭く知恵を絞って、お天道様に恥じない遊び方をする。それこそが、これからの令和を生きるワシの「新しい釣り」の姿なんじゃろう。
パソコンの画面を閉じ、部屋の壁に立てかけた真新しいロッドを、じっと眺める。
昨日、バックラッシュの糸をほどきながら感じた、あの少年の頃のような胸の奥の熱い火は、まだ消えちゃあおらん。変わってしもうたもんは、確かに多い。釣り場も、魚の数も、世間の作法も、時代も。それでもな、ワシの心の中にどっしりと居座っとる「釣りをしたい、大自然と遊びたい」という、あの純粋な好奇心だけは、白髪が増えても病を患っても、確かに、今も現役のまま残っとるんじゃからな。
――さて、お国に迷惑をかけんようルールを調べて、次は、どこの光る水面で竿を振ろうか。
布団に入る前、そんな風に次の前向きな作戦を考え始めた自分自身に気づいて、少しだけ、ほっと胸をなでおろしたわい。釣りは確かに不便で窮屈になった。じゃが、ワシらの冒険は、まだ始まったばかりで、終わっちゃおらんからの。
焦らず、急がず、明日もボチボチ、新しい形を探しにいくとしよう。
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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