養生草紙 第十八巻:腕を伝う冷たい覚悟、抗がん剤の進軍 (初めての抗がん剤治療 開始)
いやはや、ついにこの時が来てしもうた。
いやはや、ついにこの時が来てしもうた。
あんなにワシの行く手を阻み、合格ラインの120が雲の上の存在に見えていた血糖値の壁を、インスリンという相棒のおかげでようやくクリアしたのが昨日。天の神様がくれた一週間の地固めの時間は終わり、白一色の城に滑り込んでから今日という日が、本当の戦いの火蓋を切る日だったわけでございます。パチリと病室の蛍光灯が灯った朝、ワシはもう、逃げも隠れもしやせんという不退転の肚(はら)を括り、配膳された朝飯を米粒ひとつ残さずしっかり平らげやした。その後、日に三度の指先への針刺しなど、いつもの検査をパパッと済ませた後、いよいよ初めての抗がん剤投与に向けて、主治医の先生と看護師さんから詳しい説明があったんじゃ。
診察室、あるいは白いカーテンで仕切られたベッドの脇。そこに並べられた医療のからくりを前に、先生と看護師さんは大層な資料を広げ、これからワシの身体に起きる出来事を一つひとつ静かに紐解いていきやした。
説明の内容ってなぁ、思った以上に細かく、そして地道なものでございました。点滴で六時間もかけてじっくりと、ひと滴ずつ薬を体に入れ込んでいくこと。強い薬が体に悪さをせんよう、排泄された尿の回数や量を専用の目盛り付き容器で細かく量ること。そして、少しでも気分が悪うなったり、体に異変を感じたりしたら、遠慮せんとすぐにナースコールで呼ぶこと……。
昭和の時代、ワシらが若かった頃の「がん治療」のイメージといえば、映画やドラマで見るような、髪が抜け落ちて洗面台の前でのたうち回るような、そんなおそろしい姿ばかりが頭に浮かぶもんでございます。ワシのそんな怯えを察してか、先生はニッコリと微笑みながら、「自由爺さん、最近は薬の医学も大層進化しとるから、昔みたいにひどい吐き気が出ることは少ななっとりますよ。過度に恐れる必要はありません」と安心させるように言うてくれた。
その利発そうな医者殿の言葉を、もちろん信じたい。信じたいんじゃが、やはり初めて自分の体に見知らぬ薬を流し込むとなると、そう簡単にはいかんもんで。喉の奥がキュッとなるような、生唾がうまく飲み込めなくなるような緊張感はどうしても拭えんわい。
諸注意がすべて終わり、いよいよ腕に細い管が通された。
カチ、カチと静かな音を立てて、点滴の速度を測る機械が動き出す。頭上を見上げれば、透明なプラスチックの袋に入った、一見すればただの水のようにも見える液体が、重力に従ってゆっくりとくだり、管を伝ってワシの体内へ流れ込んでくる……。
その刹那、なんとも言えん、ひんやりとした冷たい感覚が、手首から腕の筋、そして肩の奥へと直接伝わってきたのでございます。外の空気は初夏の陽気だというのに、ワシの右腕の中だけ、冷たい播州の浜風が吹き抜けたかのような錯覚を覚えやした。その冷たさが胸の真ん中に届いたとき、「ああ、ついに始まったんやな。もう賽は投げられたんや」と、改めて奥歯を噛み締め、腹を括ったんじゃ。
入院してからというもの、あの手持ち無沙汰の怪物に襲われる長い午後の時間を使って、インターネットで自分なりに抗がん剤についていろいろ調べてみたんやが、結局のところ、こいつは癌細胞だけやなく、ワシの体を健やかに保ってくれとる良い細胞まで一緒くたに攻撃しよるらしいな。
なんとも不器用で、業の深い薬じゃあねぇですか。敵を討つため、胸の中の黒い影を消し去るためとはいえ、自分の身体の中で、これから何万、何億という細胞たちが入り乱れて命を懸けた大いくさが始まるようなもんや。
「いやはや、どうなることやら」
まさに緊張感マックス。心臓のドクンドクンという音が、耳の奥にまで響いてくるようでございます。四十八の、床屋の親父さんに思い切り丸めてもらった青々とした坊主頭の親父が、ステンレスの点滴スタンドの横で、パイプ椅子にじっと動かずに座っとる姿。はたから見れば、なんとも格好が悪く、滑稽な格好かもしれん。けれど、ワシの心の中は、これから始まる「内なる戦い」への期待と、肉体が上げる悲鳴への不安がぐるぐると渦巻いており、まさに嵐の前の静けさのような、妙に張り詰めた心地じゃ。
ま、いくら頭の中で先回りの心配をしたところで、始まっちまったもんはしゃあない。時計の針を早く進めるからくりなんてなぁ、どこにもありゃせんのじゃから。
薬がワシの味方となり、胸の奥深くでしっかり働いてくれるのを信じて、この六時間という長い時間を、ただただじっと耐え抜くしかないわな。今日は、あの日入院初日の夜に、病院の屋上の公園で身に受けた、あの少し湿り気を帯びた初夏の夜風の涼しさを思い出しながら、身体の余計な力を抜き、すべてを薬に身を委ねてみることにするわ。
皆も、人生の途中で未知のこと、おそろしい未知の壁に挑む時は、焦ってバタバタと波を立てる必要はねぇ。まずは、その時に感じる「冷たい感覚」から目を背けず、しっかりと肌で受け止めることから始めてみなされ。その冷たさを認めた時、人間ってなぁ、不思議と腹が据わるもんでございます。
さて、第一陣の進軍、ワシ自身の身体の中で行われる命のやり取りを、じっと見守るとしますか。また、ボチボチな。
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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