養生草紙 第十三巻:出端をくじかれた朝、心の癖とインスリン (初めてのインスリン)
出端をくじかれた二日目の朝
いやはや、入院二日目の朝。
前夜にあれほど腹一杯に詰め込んだ馴染みの焼肉の脂も、そして屋上の公園で播州の冷たい夜風に吹かれながら見つめた白い天井の冷たさも、一晩が経ってようやくワシの身体の一部に馴染んできたような気がいたしやす。パチリと病室の蛍光灯が灯り、病院の一日が動き出す。ワシは青々とした坊主頭を手のひらでひとつ撫で、昨日までの弱気を振り払うようにして、ベッドの上でぐっと気合を入れ直したんでさぁ。「いざ、抗がん剤との戦いじゃ! かかってきやがれ!」と、大戦(おおいくさ)に臨む新兵のごとく身構えとったんじゃが、どうにも世の中、思うようにはいかんもんやな。
朝の回診の時間、いつものように白衣をなびかせてやってきた医師からの説明を耳にして、ワシは一瞬、自分がどんな顔をすればええのか分からなくなっちまいました。
結論から言うと、当初の予定どおりにはいかんとのこと。
なんでも昨日採った血液の検査結果を見たらな、ワシの血糖値が高止まりしとるらしく、このままでは強い薬を使う抗がん剤治療の身体への負担に耐えられんと言うんじゃ。まずはインスリンの注射でその跳ね上がった数値をしっかりと下げんことには、肝心の癌との治療がスタートできん、と医師は淡々と、しかし静かに告げやがったのでございます。
正直なところ、思い切り肩透かしを食らった気分でな。
こちらは前々から「髪を丸める」という人生の一大儀式まで済ませ、職場の仲間や家族に見守られながら、不退転の覚悟でこの白一色の戦場へ乗り込んできたんでさぁ。よし、今日からいよいよ敵の親玉と一騎打ちの始まりだ、と限界まで張り詰めとった心の糸が、思わぬ理由でふっと緩んでしもうて、そこからなんとなく嫌な想像がむくむくと膨らんでくるんじゃ。
出先をくじかれるとは、まさにこのことじゃ。昭和の職人仕事の世界でも、朝一番の道具の調子が悪かったり、最初の段取りでケチがついたりすると、その日一日の作業がどうにも上手くいかんもんでございます。それと同じような不吉な予感が、ワシの坊主頭の奥を支配し始めやした。これから何をするにしても、いちいちケチがつくんやないか。次の検査でも、また別の悪いところが見つかって、さらに予定が引き延ばされるんじゃないか……。そんな暗い考えが、一度頭をもたげると、霧のようにつきまとって離れんのじゃ。
おかしいのう。ワシはどちらかと言えば楽観的な性格で、これまでの人生、どんな修羅場や困難にぶつかっても「まあ、なんとかなるわ」と頭を掻きながら笑い飛ばすのが口癖やったはずなんに。
あの「余命二年」という無慈悲な宣告を受けてからというもの、どうも悪い方、悪い方へとばかり物事を考えてしまう、おそろしい「心の癖」がついてしまったようじゃ。外科手術が不可能だという現実だけでも、ワシの男としてのプライドや自負は十二分に痛めつけられ、深く堪えとるというのに。唯一の希望の光であったはずの抗がん剤治療にすら、まだ辿り着くことすらできん。スタートラインに立たせてもらう前に、自分の身体の内側にある「血糖値」という、もうひとつの身内の裏切りに足をすくわれたような心地でございます。
「ワシ、本当に戦わせてもらえるんやろうか」
病室の片隅、窓の外に見えるいつものありふれた街並みをぼんやりと眺めながら、そんな弱音がポツリと口をついて出やした。たった二日目で、戦いの火蓋が切って落とされる前にこんなに心が萎えてしまうとは、情けないったらありゃせん。
けれどもののう、じっと自分の青々とした頭を撫で回しているうちに、ふと、これは天の神様がくれた休息の時間なんじゃないか、という気がしてきたんでさぁ。
これもきっと、これまで四十八年間、自分の身体の悲鳴に耳を貸さず、寝食を忘れてがむしゃらに働き続けてきたワシの肉体が、「おい、主(あるじ)よ、まずは落ち着け」と、強引にブレーキをかけとるんかもしれんな、とね。心のギアをいくらトップに入れたところで、車体が追いついてこなけりゃあ、それこそ一歩目で大破しちまう。
ま、焦ってジタバタしたところで血糖値が下がってくれるわけじゃなし、病気がどこかへ逃げてくれるわけでもない。
今はただ、医師の言葉を信じ、インスリンという新しい相棒の力を借りて、一歩ずつ足元を固めていく地固めの時期なんじゃろう。基礎工事がしっかりしていなけりゃあ、どんなに立派な家だって建ちやせんからな。
空回りしとる自分を「しゃあないなぁ、ワシも焼きが回ったわ」と、昔のように大らかに笑えるようになるまで、もう少しかかりそうじゃが、明日はまた別の風が吹く。
皆も、日々の暮らしの中で、物事が思うように進まんとイライラして、夜も眠れんようになる時があるでしょう。そんな時は、どうか無理に前を向こうとせず、深く呼吸をして、まずは自分の身体を一番に労わってやりなされ。思い通りにいかない現実を呪うより、今こうして動いてくれている自分の肉体に「いつもすまんな」と声をかけてやる、それもまた立派なひとつの養生でございます。
さて、今夜はもう余計な先回りの心配事は考えず、磨き上げた頭をごろりと枕に預けて、早めに目を閉じるとするわ。ボチボチ、な。
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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