養生草紙 第二十一巻:手のひらの魔法、退屈を溶かす「つながり」 (病床でのスマホ活用 繋がり)
いやはや、抗がん剤の初陣から一週間。
いやはや、抗がん剤の初陣から一週間。
あの地獄の喉元の攻防を強いた気管支鏡や、無機質な音が響き渡る電脳からくりに追われた検査の日々。そして「余命二年」という無慈悲な審判を経て、ようやく血糖値の合格ラインをクリアして迎えた初めての抗がん剤投与。手首から腕の筋へ伝わってきたあのひんやりとした冷たい感覚を肌に受け、「いざ大戦(おおいくさ)の始まりじゃ」と奥歯を噛み締めてから、早いものでもう七日の月日が流れたわけでございます。
投与翌日の朝には、テレビのドラマで見るような激しい吐き気やのたうち回る苦しみも一切なく、「あれ、拍子抜けじゃわい」と胸をなでおろしたものでしたが、医療のプロである先生や看護師さんの見立てはどこまでも慎重でございやす。
「自由爺さん、最初の一歩が何事もなかったからとて油断は禁物ですよ。お薬の影響は体の中にじわじわと溜まっていくもんです。これからの一週間は、何が起きてもおかしくないデリケートな時期ですから、とにかく無理をせず安静にしときなされ」
そう釘を刺され、念を押しつぶされるように言われとったんで、一日のうちで許された唯一の贅沢である、屋上の公園へ外の空気を吸いに行くこと以外は、大人しく白いカーテンに囲まれたベッドで横になっとったんじゃ。
毎日欠かさず受けとる放射線治療も、相変わらず「気の抜けるくらい大したことない」ままでな。地下の薄暗い部屋にある、宇宙船のような巨大な筒の寝台に仰向けになり、左手を頭の上にぐっと上げる妙なポーズを維持するのにも、すっかり身体が馴染んじまいました。レーザー光線のようなやつが当たっても、やはり痛みも熱さもありゃせん。終わってみれば、ただじっと天井の器具を見つめているだけであっけなく初日と変わらず終了してしまう。
こうなると、本当に毎日が日曜日というか、ただただ時間が余ってしゃあない。
昨日までは、朝から晩まで仕事の納期に追われ、がむしゃらに汗を流して働いていた身でございます。それが、あの味気ないブルーのプラスチック容器に盛られた薄味の食事を三度平らげる以外は、やることが何一つない。白い天井のシミを数えるのも、コイン式の小さなテレビをぼんやり眺めるのも、入院初日の午後でとうに飽き果てていやした。「このままじゃあ、病気じゃなくて退屈で死んでまうわ!」と闇に向かって叫びたくなるところじゃったが、今回ばかりはワシの先見の明が功を奏したわい。
実はな、この入院という人生の一大事を機に、思い切って文明の利器を買いに走ったんじゃ。これまでの人生、連絡といえばもっぱらあの懐かしいPHSで事足りていたワシが、初めて「スマホ(iPhone)」というやつを買うて、この城へ持ち込んだんじゃな。
引き戸を開けた床屋の親父さんに坊主頭にしてもらったように、形から入るのもひとつの養生。せっかくの隠居スタイルなら、流行りの魔法の板切れを相棒にしてやろうという算段でござんす。
しかしねぇ、いざ手元に届いたその黒くてツルツルとした板きれをベッドの上で眺めてみても、最初はどこをどう触ればいいのか、さっぱり見当がつきゃせん。説明書らしい説明書もない。設定やら基本の操作やらを覚えるだけでも一苦労で、指先をあちこち滑らせては「おっと、画面が消えちまった」「今のボタンはどこへ行った」と、冷や汗をかきながらの大騒ぎじゃ。けれど、これがかえって退屈な病室においては、ええ頭の体操になる。
触れば触るほど、知れば知るほど、こいつは本当に魔法の板きれじゃな。
この一週間、手持ち無沙汰の怪物を追い払うためにベッドの上で朝から晩までいじり倒しとるが、ワシの想像を遥かに超える驚くような機能が、まるで打ち出の小槌みたいに次から次へと出てきよる。
特におったまげたのが、ワシが喋った言葉を、そのままスルスルと文字に変えてくれる「音声入力」という機能じゃ。
指先に針を刺して血糖値を測る時間が今も日に三度ありやすから、時折その痛みの名残で指先が少し強張っとる時がある。そんな時でも、画面に向かって「ええ天気やな」と声を出せば、ワシの代わりに機械がスラスラと文字を書いてくれるんやから、ありがたいこっちゃ。さらには、「何時何分にアラームを鳴らしてくれ」「あの歌を流してくれ」と声だけで語りかけるだけで、いろんな操作を文句ひとつ言わずにこなしてくれる。まるで、ワシの身の回りの世話を二十四時間つきっきりでしてくれる、目に見えない小さな執事がこの板の中に住んでいるみたいやな。
それから、これまでのPHSでは逆立ちしてもできなかった「テレビ電話」というやつも、初めてやってみたぞ。
画面の向こうに、離れたところに居る家族の顔がパッと映し出された瞬間は、本当に腰が抜けるほど驚きやした。ただの声だけが響く電話とは違って、相手の表情、目元のシワ、ワシの坊主頭を見て驚きながらも笑っているその顔がリアルタイムで見えると、心の距離までグッと近うなるような気がするわい。
窓の外に広がるいつもの街並みから遮断され、誰の気配も感じられない真っ白な病室におっても、こうして誰かの生の笑顔を間近に感じられるんは、今のワシにとっては何よりの「心の養生」じゃな。冷え切った心にぽっと灯る炭火のように、じわじわと生きる気力が五臓六腑に染み渡っていくのが分かりやす。
他にも、昔住んでいた思い出の場所の地図を上空からの写真で調べてみたり、若い学生時代に仲間と肩を組んで歌った古い歌を検索して聴いてみたり……。
あの四角くて不器用なPHSでは決して味わえなんだ、世界と、そして人と「つながる」感覚。この手のひらに収まる小さな機械が、どんよりとした絶望の霧に包まれ、孤独になりがちな入院生活の重い窓を、光の速さでパッと開いてくれた気がするよ。病室にいながらにして、ワシの心はいつでも播州の浜風を吸いに行ける。そんな気がしてならんのでございます。
ま、あまりに便利すぎて、ついつい夢中になって時間を忘れてしまうのが玉に瑕じゃが、こればかりは仕方がねぇ。
この新しく出会った頼もしい相棒と一緒に、明日からの本格的な治療の嵐も、前向きに、笑顔を忘れずに乗り越えていけそうじゃ。癌という大きな壁の前に立たされはしたが、だからこそ出会えた新しい世界がここにはある。
皆も、日々の暮らしや仕事の現場の中で、何か新しいことや慣れない道具に触れるのを億劫がらずに、一歩踏み出して自分の世界を広げてみなされ。いくつになっても、どんな境遇にあっても、新しいことを学ぶ楽しさってなぁ、人間の心を健やかに保つ最高の薬になりますから。
さて、消灯前の静かな時間が近づいてきやした。今夜は誰にこの磨き上げた坊主頭の顔を見せにいこうかのう。孫の顔か、あるいは職場の仲間たちの顔か。
ボチボチ、魔法の板きれの操作に励むとしますか。
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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