養生草紙 第二十八巻:青い皿、痺れる指先と心の中で叫ぶ「今」  (末梢神経障害 指の痺れ)

次から次へと新しい波

いやはや、参った。病(やまい)との付き合いってなぁ、いつだって一筋縄ではいかんもんやと分かっていたつもりじゃが、どうにも世の中そうは問屋が卸さない。人生の嵐というもんは、一難去ってまた一難、こちらがようやく息を吐いた隙を突いて、次から次へと新しい波が押し寄せてくるもんらしい。

まだ夜の帳(とばり)が明けきらぬ明け方、胃の腑の奥からせり上がる得体の知れないモヤモヤに襲われて目が覚めやした。追加の吐き気止めを飲み、時計の針がどっかに引っかかって止まったんやないかと疑いたくなるほど、長く重たい十分、二十分の時間をじっと耐え忍ぶ。昼を過ぎる頃には、頭の芯がぼうっとして全身がふわふわと浮き足立つ、あの嫌な「船酔い」のような気分の悪さに変わり、ベッドの上でのたうち回るクタクタの時間を過ごしておりました。

それからさらに数時間、目を閉じてじっと嵐が過ぎ去るのを待ち、夕刻を過ぎてようやく地獄の波が少しばかり凪いできた、その時のことでございます。

廊下の向こうから配膳車のガラガラという、聞き慣れた気ぜわしい音が近づいてきて、ワシの病室にも夕飯の配膳が回ってきやした。パチリと灯った蛍光灯の光の下、目の前に置かれたのは、相変わらず人間の食欲を綺麗さっぱり削いでくれる、なんとも涼やかで味気ないブルーのプラスチック皿でございやす。

昨夜、我が家の食卓で丁寧につまんだ刺身の旨みを思い出し、少々残念な気持ちを喉の奥へ押し込みながら、そこに盛り付けられた食事、箸を手に取ろうとしたその瞬間でございます。さらなる不意打ちの異変が、ワシの肉体を襲ったんじゃ。

「……ん? 手先が、痺れる」

最初は、ずっと同じ姿勢で横になっていたから腕の血流でも悪くなったんかと思い、手のひらをグーパーと動かしてみたんじゃ。ところが、そんな生易しいもんじゃあねぇ。親指の先から人差し指、中指へと、ジワジワ、ピリピリと、まるで細かな電気虫が皮膚の裏側を這い回るような、得体の知れない奇妙な感覚が広がっていく。

長年、仕事の現場で様々な道具を相棒にがむしゃらに sweat を流し、自分の手足のように道具を扱ってきた自負がありやす。しかし、その長年連れ添ったはずの箸を握ろうとしても、指先に力が入らん。まるで厚手の軍手を何枚も重ねてモノに触れているような、あるいは他人の手を遠くから眺めているような、なんとも頼りない痺れが指先を完全に支配しとるんじゃ。昼間からの容赦ない「船酔い」に加えて、今度は手足の「痺れ」のダブルパンチ……。これにはさすがのワシも、いささか男の意地がポキリと折れて、音を上げてしもうた。

五感が恐怖で張り詰める中、たまらずベッド脇のナースコールを押して状況を伝えると、パタパタと小気味よい足音を響かせて看護師さんが駆けつけてくれやした。ワシの指先の強張りを見つめながら、彼女はいつも通りのにこやかな笑顔で、優しくこう言うたんじゃ。

「自由爺さん、驚かせてごめんなさいね。これも抗がん剤の仕方のない副作用なんですよ。でもね、安心してください。十年前の薬に比べたら、これでもだいぶん成分が改善されて、症状は軽くなった方なんですから」

白衣の天使のその言葉は、ワシを安心させようとする親切心からのものに違いありやせん。それは百も承知、千も承知なんじゃが……。その瞬間、ワシの肚(はら)の底から、播州弁の生々しい本音がふつふつと湧き上がり、喉元まで出かかったんでさぁ。

「違うねん、看護師さん。ワシがいま大変で、苦しくて、心細くてたまらんのは、十年前の歴史の話やなくて『今、この瞬間』なんや。もしこれが本当に十年前の毒性の強い薬やったら、ワシみたいな四十八の坊主頭の親父は、もうとっくに白目の泡を吹いてひっくり返っとるわ」

しかしねぇ、そんな言葉をそのまま口に放り出しちゃあ男が廃る。廊下を見渡せば、夜間の巡回や他の重篤な患者さんの世話で、眉間に皺を寄せながら忙しゅう立ち働く彼女たちの姿がある。そこへワシの我がままな愚痴をぶつけたところで、この指先の痺れが消えるわけじゃなし、血糖値の管理が楽になるわけでもありやせん。ワシは口を真一文字に結び、その言葉をグッと喉の奥へ呑み込んで、心の中でそっとつぶやくだけに留めておいたのでございます。医療がいくら日進月歩で進歩したと言うても、今この瞬間に肉体を苛むリアルな苦しみってなぁ、結局のところ、世界中でベッドの上にいる本人にしか分からん孤独なもんやからな。

運ばれてきた青い皿の食事も、箸を落としそうになる指先をもう片方の手で支えながら、なんとかかんとか時間をかけて胃に収めやした。ここで食べなきゃ大戦(おおいくさ)を戦うガソリンが切れちまう、それこそ癌細胞の奴らの思う壺じゃあねぇですか。

パチリと二十二時の消灯を告げる静かな館内放送が流れ、病室の主照明が消されました。カーテンの隙間から差し込むかすかな街灯の影を見つめながら、今はただ、このジンジンと痺れる手足と、いまだに浅く騒がしい胃袋を優しくなだめながら、一刻も早く眠りにつきたい。

「明日目が覚めた時には、きっとこの痺れも、あのムカムカも綺麗さっぱり治っとるよね」

そんな、子供が遠足の晴天を願うような淡くて小さな希望を胸の隅っこに抱いて、今夜は毛布を深く、頭までかぶることにするわ。

病(やまい)との付き合いってなぁ、ホンマに気の遠くなるような忍耐の連続じゃ。けれど、ここで焦ってジタバタと波を立てたところで、時計の針が早く進むからくりなんてなぁどこにもありやせん。

ま、明日はまた、明日の新しい風が吹く。今夜はこれでおしまい。

皆も、日々の忙しい仕事や暮らしに追われていると、身体が発する小さなSOSを見落としがちかもしれん。けれど、少しでもおかしいなと思ったらその小さなサインを逃さんと、男の意地だの世間の常識だので無理をせず、まずは自分の身体を一番に労わって、ボチボチ養生しなはれや。

磨き上げた頭をごろりと枕に預けて、ワシはワシの道を歩むだけや。また、ボチボチな。おやすみなされ。

【ワシからのお願い(免責事項)】
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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