養生草紙 第二十九巻:腹の中のダンスと、藁をも掴む爺の叫び  (抗がん剤による副作用)

一難去ってまた一難

いやはや、参った。病(やまい)との付き合いってなぁ、いつだって一筋縄ではいかんもんやと分かっていたつもりじゃが、どうにも世の中そうは問屋が卸さない。人生の嵐というもんは、一難去ってまた一難、こちらがようやく息を吐いた隙を突いて、次から次へと新しい波が押し寄せてくるもんらしい。

昨夜は、昼間からの容赦ない「船酔い」のような気分の悪さに加え、夕飯の青い皿を前にした瞬間に指先がジワジワと痺れだすという、まさかのダブルパンチに見舞われましてね。長年、仕事の現場でがむしゃらに汗を流してきた男の意地もプライドもポキリと折れ、いささか音を上げてしまったわけでございます。「明日になれば、きっと治っとるよね」……そんな子供が遠足の晴天を願うような淡くて小さな希望を胸の隅っこに抱いて、毛布を深く、頭までかぶって目を閉じたんじゃが、現実はそう甘うなかったのう。

今朝、パチリと病室の蛍光灯が点灯し、気ぜわしい病院の午前中を告げる館内放送が流れた。ワシは祈るような思いでおそるおそる目を覚まし、真っ先に己の身体の状態を確認したんじゃ。

「……あかん、何も変わっとらんわ」

暗闇から現実の光に引き戻された瞬間、ワシは心の中でがっくりと肩を落としやした。体調は昨日から何ひとつ良くなっていやせん。それどころか、追い打ちをかけるようにガラガラと配膳車が近づいてきて、朝食に出された焼きたてのパンの香りがふっと鼻をくすぐったその瞬間、胃袋が「おい主(あるじ)よ、今は勘弁してくれ!」と猛烈な悲鳴を上げたんじゃ。

今のワシの腹の中は、まさに天下分け目の大戦(おおいくさ)が繰り広げられている真っ最中の戦場。お腹の底のさらに奥深くで、一昨日の夜に家族と馴染みの店で腹一杯に詰め込んだあの焼肉の脂の残りと、昨日手首から冷たく流れ込んできたあの忌々しい抗がん剤の毒素が、入り乱れて激しいダンスを泥臭く踊り狂っとるような感覚じゃ。胸の奥から絶え間なくせり上がってくる不気味なムカムカに、お盆の上の食事に箸を伸ばす気力なんてなぁ、これっぽっちも湧いてきやせんでした。

さらには、手先と足先じゃ。昨日から始まった異変は、夜が明けてもその手を緩めてはくれなんだ。

親指の先から足の裏にかけて、まるで無数の小さな小さな電気虫が、ザワザワ、ピリピリと、皮膚の裏側を休むことなく這いずり回っとるような、奇妙で不快な痺れが止まらん。かつて播州の厳しい冬の浜風にさらされて手足がかじかんだことは何度もあったが、そんな温かみのある冷たさじゃあねぇ。自分の手足でありながら、まるで厚手の軍手を何枚も重ねてモノに触れているような、他人の肉体を遠くから眺めているような頼りなさが、ずっと四肢を支配しとるんじゃ。こうも「不調の波」が次から次へと容赦なく押し寄せてくると、さすがのワシも、限界まで張り詰めさせていた心の糸が、今度こそポキッと音がして折れそうになる……。

「ワシ、本当にこの治療を五クールも続けていけるんやろうか」

白いカーテンの檻に閉じ込められ、動かない時計の針を睨みつけながら、正直、気持ちがどんどん弱くなっていくのをはっきりと肌で感じておったんじゃ。

そんな絶望の霧が病室に立ち込めていた折、バタバタとした廊下の足音が止まり、回診にきたお医者様が白いカーテンをシャッと開けて、「自由爺さん、いかがですか? 具合は」と、いつも通りの落ち着いた声で声をかけてくれた。

その利発そうな医者殿の顔を見た瞬間、ワシの目頭が熱うなりやした。ワシはもう、藁をも掴むような、いや、地獄の底で蜘蛛の糸を垂らしてくれた仏様を拝むような必死の思いで、この明け方からの苦しい状態、腹の中のダンス、指先の虫が這う感覚を、格好をつけずに洗いざらい伝えて助けを求めたんじゃ。

すると先生は、ワシの震える坊主頭をなだめるように「それは辛かったですね。大丈夫、追加でさらに強い吐き気止めを薬を出しましょうね」と、心強い言葉をかけてくれたんじゃ。そこまでは良かった。本当にありがたい、天使の言葉やと胸をなでおろしかけた。

んじゃが、その後に医師殿の口から続いた言葉がまた、ワシの肚(はら)の底に妙な波風を立てやがったのでございます。

「自由爺さん、でもね、十年前の薬に比べたら、これでもだいぶん成分が改善されとる方なんですよ。食事は体力を落とさないために頑張って摂ってくださいね。あと、抗がん剤を早く外へ洗い流すために、お水をたくさん、一リットルは飲んでください」

……。

先生の言いたいことは分かります。医療のからくりが日進月歩で進歩し、昔の「トイレが友達」状態でのたうち回っていた患者さんたちに比べれば、今のワシが受けている治療が無茶苦茶楽な部類に入るということくらい、スマホという魔法の板きれで調べたワシにだって分かっておる。

「でもな、先生、そないな強いお薬が手元にあるんなら、なんで昨日の晩、ワシが船酔いで苦しんどる時に回してくれんかったんや!」

情けない話やが、四十八の坊主頭の親父が、ベッドの上で半泣きになりながら心の中でそう絶叫してしもうたわ。白衣の医師殿を前にして、世間の体裁だの男のプライドだのを気にする余裕なんてなぁ、今のワシには一欠片もありゃあせん。医療の進歩の歴史だの、十年前の苦労話を聞かされても、今この瞬間にワシの五体を苛んでいる「虫が這う感覚」や「腹の狂ったダンス」が、光の速さで消えてくれるわけじゃあないんやからな。

ま、そうやって暗闇に向かって心の中で叫んだところで、時計の針が早く進むわけじゃなし、出されたお薬が早く効くわけでもありゃせん。

今はただ、医師の先生が新しく出してくれたその「強いやつ」の力を信じて、指示通りに計量カップの目盛りを睨みつけながら、喉がヒリヒリと痛むお水をチビチビと喉の奥へ流し込み、嵐が静かに過ぎ去るのをじっと耐えて待つしかないのう。

あの「余命二年」という無慈悲な宣告を受けてからというもの、ワシの人生の時計は一度止まり、悪い方、悪い方へと考えてしまう心の癖がついていやした。けれど、この白一色の城での暮らしを経て、ようやく本当の戦い方が見えてきた気がいたしやす。

病(やまい)との付き合い、養生というのは、一歩進んでは二歩下がり、耐えては神仏に祈る……その地道で泥臭い繰り返しの連続なんかもしれん。綺麗事や格好のええ美学だけじゃあ、この癌という大きな怪物には立ち向かえん。自分の小ささと臆病さを認め、出された薬を信じて身体を委ねる。それこそが、自由爺としての今の精一杯の戦い方なんじゃないかってね。

今日は一日、あの播州の秋祭りで荒ぶる神輿を担ぎ回っていた頃の威勢はどこへやら、借りてきた猫のように大人しくベッドの上で横になって、少しでも身体の強張りが解け、楽になるのをボチボチ待つとしますわ。

皆も、日々の忙しい仕事や暮らしの現場の中で、どうしても無理が効かん、身体がSOSを上げていると感じる時は、男の意地だの世間の常識だので自分を縛り付けず、決して無理をせんこと。一度立ち止まって、大きく深呼吸をして、ボチボチいくのが一番の養生じゃよ。

さて、今夜は磨き上げた頭をごろりと枕に預けて、お腹のダンスが静まるのを気長に待つとしましょうかね。明日はまた、明日の新しい風が吹くんじゃからな。また、ボチボチとな。

【ワシからのお願い(免責事項)】
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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