太公望の戯れ 第三話 何も釣れんかったが、確かに何かを手にしとった
魚は一匹も釣れなんだのに、胸の奥底が不思議とホクホク温かくなった、爺とベイトリールとの、ちいとばかり不器用で愛おしい一日の記録でございます。
いやはや、参った。その日の加古川の河原は、朝から晩まで見事なまでの「バックラッシュ」続きじゃった。
投げても投げても、リールの中のナイロン糸(ライン)がワシの言うことをこれっぽっちも聞いちゃくれん。それどころか、ルアーを放つたびに、リールの回転部分(スプール)のまわりで「ひゃはは」と悪魔が嗤うように、意地悪くグチャグチャに絡みつく。ほどいては綺麗に巻き、よし今度こそと気合を入れて投げれば、またバサッと不気味な音を立てて鳥の巣のように絡む。気がつけば、竿を振ってルアーを水面へ投げとる時間よりも、土手の上にどっかり腰を下ろして、白い糸とにらめっこしとる時間のほうが遥かに長かったわい。
冷たい川風に吹かれながら草むらにしゃがみ込み、重たいリールを膝の上に乗せ、老眼の目を皿のようにして、指先で一本、また一本と絡まった糸の結び目を丁寧にほどいていく。ようやく直ったと思って立ち上がると、今度は意地悪な突風に煽られて、リールの奥のほうでまた別の弛みがキチキチに絡まりよる。
「……あーーー、めんどくさい!これじゃあ、まるでお釈迦様の蜘蛛の糸をたぐっとるようなもんやな」
小さくため息を吐きながらも、ただ黙々とその地味な作業を続ける。西の空が茜色に染まり始める頃には、度重なる指先の緊張と中腰の姿勢で、ワシの体はもうヘロヘロの満身創痍じゃった。
「……トホホ、今日はとことん、あかん日やな」
心の中でそう呟きながらも、不思議なことに、腹は一向に立たんかったんじゃ。それどころか、糸をほどく指先の痛みが、どこか身体の奥のほうで、むずがゆいほど懐かしい。思えば昭和のあの頃、十四、七の鼻垂れ小僧だった頃も、こんなバックラッシュだらけの日はいくらでもあった。うまくいかんくて泣きそうになっとるのに、なぜかその時間が嫌いになれず、日が暮れるまで池のほとりに居座り続けとった。あの頃の泥臭い記憶が、令和の加古川の風に乗って、ふわりと蘇ってきたんじゃな。
夕方になり、いよいよ辺りが薄暗くなってきたところで、ロッドをパチパチと畳み、道具をカバンに片付けて引き揚げることにした。当然、本日の釣果は堂々のゼロ、見事なボウズじゃ。手のひらはリールの油と泥で黒く汚れ、腰は鉄板が入ったように重い。それでもな、堤防を歩いて車へ戻るワシの胸の奥は、まるでお汁粉でもすすった時のように、じんわりと温こうなっとったんじゃ。
家に帰り、泥のついた作業着を脱ぎ捨てて風呂にドボンと浸かる。熱い湯に声を上げながら、今日一日の泥を洗い流し、今度は居間で今日一日ワシを苦しめた道具たちを和室に干す。油を差し、リールの鈍い金属の輝きをぼんやりと眺めながら、ふと、こんな言葉が口から突いて出た。
「……よし、明日もまた、行こか」
その言葉に、自分自身が一番驚いたわい。別に無理をして前向きな格好をつけようとしたわけでもない。現役時代の営業マンよろしく、「次は頑張るぞ」と気合を入れ直したわけでもない。ただ、気がついたら、次に加古川のどの淀みへルアーを投げるべきか、その段取りを、頭のなかで勝手に組み立て始めとったんじゃ。
その時、ハッと気づいた。
あれだけ毎日のようにワシの頭の中に居座り続け、心をどす黒く曇らせとった「病」のことが、すっと、綺麗さっぱり消え去っとったんじゃ。病気への不安も、死への恐れも、この先どうなるんやろうという先の見えん暗い足元も。それらすべての重苦しい感情が、次の釣りの段取りという、実に具体的で忙しい作戦に押し出されるようにして、頭の隅っこの方へ追いやられとった。今のワシの頭の中は、次にキャストするルアーの重さ、ラインの最適な太さ、そしてあの草のキワを狙う投げる角度。すっかり、鮮やかな釣り一色に塗り替えられとったんじゃ。
「……この感覚、一体何年ぶりやろな」
干してあるピストル型のロッドを手に取り、ぽつりと呟いて、ちょっと一人で苦笑いする。
これまでの人生、仕事の忙しさだの、家庭の責任だの、あれこれともっともらしい理由を並べては、心の奥底へ遠ざけとった懐かしい感覚。誰のためでもない、ただ自分のためだけに、一分一秒の時間を贅沢に使い果たすこと。会社の誰も評価してくれず、誰の邪魔にもならん、ただ自己満足のためだけの純粋な楽しみ。そんな大切な時間を、ワシはいつの間にか、長い人生のどこかへ置き忘れてきとったんじゃな。
釣りというものは、魚の口に針を引っ掛けて、水面から引き揚げるもんやと、長いこと頑なに思い込んどった。じゃが、この日は違った。ワシが加古川の土手で釣り上げたのは、鱗のある魚やない。
一つのことに寝食を忘れて集中する感覚。子供のように夢中になれる濃密な時間。そして、布団に入った時に「あぁ、明日が楽しみやな」と、心から思える純粋な気持ち。それをな、あの絡まりに絡まった頑固な糸を一本ずつ、イライラしながらも根気よくほどくたびに、ワシは己の心の奥底から、一本ずつ丁寧に引き出しとったんかもしれん。
バックラッシュを直す作業というのは、地味で、面倒で、決して楽な仕事ではない。それでもな、指先に全神経を集中しとる間、頭の中は完全に空っぽになるんじゃ。余計な世間の垢や、将来の不安なんてものは一切考えんでええ。ただ右手の爪を立て、左の指先だけを動かす。その単純極まりない作業の静けさが、今のワシの傷ついた脳みそには、ちょうど良い薬やったんやろな。
大げさに聞こえるかもしれんが、あの広い釣り場に立っとる間、ワシは病院の「患者」でもなければ、責任を背負った「社会人」でもなかった。ただの、竿を握った一人の、少年の心を持った釣り人じゃった。
夜も更け、明日の準備をしながら、自然と道具箱からお気に入りのルアーを手に取っとる自分に気づく。「明日はどれを投げるか。どうやってあの風を切り裂くか」。そんなことを考えてニヤニヤしとる自分が、少し可笑しくて、同時にたまらなく嬉しかった。
ずっと忘れかけとった大事な宝物を、加古川の神様が思い出させてくれた気がした。自分だけの時間。自分だけの楽しみ。誰かの期待に応えるためでもなく、他人の評価とも、何の関係もない純粋な喜び。
ワシの釣りは、相変わらず下手くそじゃ。明日もきっと、今日と同じようにバックラッシュだらけで、うまくいかんことのほうが多いに決まっとる。
それでも、ええ。何も釣れんかったバックラッシュだらけの一日が、こんなにもワシの心を軽うしてくれるとは、夢にも思わんかった。
川からは何も持って帰らんかった。じゃが、確かにワシは、失いかけていた自分自身を、ほんの少しだけ取り戻しとったんじゃ。
――明日も、あの光る水面に向かって竿を振ろう。
そう心から思える夜が、今ここにあるということ。それこそが、この日のワシの、いちばんの最高の釣果じゃった。
明日もボチボチ、新しい命を投げにいくとしよう
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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