細工物小屋 第四話 魔法の箱 粘土細工は 脳の毒 (3Dプリンターきたる)
さあさあ、お立ち会い!寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。本日我が工房からお届けするのは、白髪交じりの爺が、令和の最先端テクノロジーという名の強敵に果敢に立ち向かった、汗と涙の奮闘記でございます。
いやはや、本当に驚いた。時は二〇二五年、三月。冷たい川風の中に、どこからか梅の甘い香りがふわりと漂い始め、長かった加古川の冬がようやく終わりを告げようとしとった頃のことじゃ。長年勤め上げた会社をいよいよ退職し、第二の人生という名の自由時間を手に入れたワシが、何を血迷ったか最初に手を出したのが、世にも奇妙な「3Dプリンター」という名の魔法の箱じゃった。
そもそも動機はのう、「自分の手で一から設計した、世界に一つだけのルアー(疑似餌)をこしらえて、加古川の淀みに潜む大きな魚を釣り上げたい」という、それこそ鼻先にニンジンをぶら下げられた馬のような、実に単純で軽い気持ちやったんじゃ。ところがどっこい、この魔法の箱というやつが、なかなかの難敵、一筋縄ではいかん化け物やったんよ。
届いた大きな箱を開けて、部品をパチパチと組み立てるまでは至極簡単、お茶の子さいさいやった。プラスチックの素麺みたいな細い紐(フィラメント)を本体の後ろにセットして、最初から入っとるお試しのサンプルデータを刷ってみれば、ノズルの先っちょから熱で溶けた素麺がシュシュシュッと這い回り、みるみるうちに綺麗な立体が立ち上がっていくやないか。
「なんや、むっちゃ簡単やんか!現代の機械は大したもんや!」
と、鼻歌まじりで湯呑みのお茶をすすっとったのは、まさにそこまでのこと。本当の地獄はここからじゃった。
サンプルやなくて、ワシの頭の中にある理想のルアーの形をいざ作ろうと思たら、「CAD(きゃど)」という、パソコンの中で立体図面を描く特殊なソフトを操らなアカン。これがもう、爺の固まった脳みそを洗濯機にぶち込んで、脱水モードで限界まで回したような、大混乱の始まりやったんじゃ。
画面の中に現れた四角い立方体をマウスでちょいといじれば、思いもよらん方向へ形がぐにゃっと不細工に曲がり、焦ってボタンを押せば、図面が画面の遥か彼方、宇宙の果てまで飛んでいって見失ってしまう。
「おいおい待て待て、ワシは今、どっちを向いとうんや!戻ってこい!」
これまでずっと、紙と鉛筆の「平面の世界」で生きてきた昭和の人間にとって、画面の中に縦・横・奥行きが交差する立体空間を操作するいう行為は、まるで宇宙飛行士が無重力空間に放り出されて、上下左右が分からんようになったようなもんじゃ。画面を右に向ければさっき左で何をしたかを忘れ、新しい操作を三つ覚えれば、代わりに大事な基本を一つ忘れて消えていく。トホホ、たった一つの、魚の形をした小さなルアーのデータを作るだけで、パソコンの前で夜通し頭を抱え、丸一週間もかかってしもうたわい。
思えばワシらが若かった頃、あるいは子供の頃に「何かを作る」いうたら、それこそ「小刀」一本が全ての始まりやった。駄菓子屋の裏で竹藪から竹を切り出し、刃先を滑らせて指を切りそうになりながら、自分の手でシュッシュと削って水鉄砲を作ったもんじゃ。あの頃は、自分の目と、自分の手が全ての手本であり、ものづくりの限界やった。
それが今や、どうじゃ。ワシが慣れん手つきでキーボードを叩けば、あとは熱で溶けたプラスチックが一重一重、寸分の狂いもなく正確に積み重なっていく。まるでワシの寝静まった夜更けに、目に見えん小さな小人が、内緒でせっせと精密な粘土細工をしとうみたいに、何もない空間から形が出来上がるんじゃからな。科学の進歩といういやつは、ワシの貧困な想像力を、新幹線並みの速さではるか遠くに追い越していきよる。
そんな四苦労も二苦労もあった格闘の最中、分厚い説明書の片隅に、なんとも奇妙な機能を見つけたんじゃ。なんと「普通の写真を読み込ませるだけで、勝手に3Dの立体データにできる」という機能があるらしい。
「ほう、そんなら一丁試してみるか」と、我が家で我が物顔で駆け回っとる愛犬のジャックラッセルテリアの写真をパソコンに読み込ませてみたんじゃ。するとどうじゃ、次の瞬間、パソコンの画面の中に、あの愛くるしい愛犬の姿が、まるで大理石の彫刻のように綺麗な浮き彫り(レリーフ)になって現れたんじゃ!
「うおっ!これ考えた人、間違いなく天才や!!」
これには夜中に一人で声を上げて膝を叩いたわい。それからはもう、図面を描く苦労もすっかり吹き飛んで、機械が動いて形が出来上がっていくのが楽しくて仕方がなくなってしもうた。
ただのう、悲しいかな。その立体造形の楽しさと興奮がググッと頂点に上がるたびに、さっきまで寝る間を惜しんで必死に覚えたはずの、あのCADの難しい設計手順の記憶が、頭の消しゴムで消されたみたいに綺麗さっぱりと消え去っていったのは……まぁ、みなさまのお察しの通りじゃ。神様は人間に、そういくつも同時に覚えさせてはくれんらしい。
失敗も含めて、いくつになっても新しい挑戦というやつは男の胸を躍らせるもの。あの愛犬の彫刻を道具箱の肥やしにして、次は絶対に手順を忘れんようにメモを握りしめ、あの淀みに潜む大物チヌを騙すための、特製ルアーの続きを形にせなアカンな。
機械はバッチリ動いてくれても、どんな魚を釣るかはワシの腕とセンス次第。こればかりは、どんなに賢い3Dプリンターでも自動で魚を引き寄せてはくれんからのう。最後の最後は、男の手仕事の勝負や。
焦らず、急がず、明日もボチボチ、新しい形を作りにいくとするわ。
ここにあるお話(養生草紙)は、すべてワシ個人の体験談やレビューや。お薬や治療の代わりになるもんやないからね。
体の調子がすぐれない時は、無理せんと専門のお医者さんの診断を仰ぐのが一番の養生や。自分の体を一番に大切にしてな。
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